伊賀上野城

  伊賀上野城は日本100名城の1つです。白亜三層の端麗な姿で白鳳城ともよばれています。 標高184mほどの丘にある梯郭式平山城です。
現在の天守閣は、1935年に川崎克によって復興されたものです。江戸時代の藤堂高虎が築いた天守台に木造で建てられ、3重3階の大天守に2重2階の小天守がつながっています。 
    
 
最初の伊賀上野城は、1585年に豊臣秀吉の家臣筒井定次が平楽寺・薬師寺のあった台地に近世城郭を築きました。城は高丘の頂上を本丸とし、東寄りに三層の天守閣を建てました。その後、徳川家康が大阪城に対抗するため、築城の名手、藤堂高虎によって1611年に複合式層塔型5重5階の天守が建築されていましたが、翌1612年に台風により崩壊しました。しかし大阪の陣で家康が勝利したので、天守が再建されることはありませんでした。  
   
 
高石垣   
藤堂高虎の築いた高さ約30mの高石垣は、もう1人の築城の名手・加藤清正の石垣に見られる「扇の勾配」に比べ、直線的な姿をしています。今は大阪城の高石垣と一二を争う高さですが、築城当時は他に例のない桁外れの高さでした。
    
 
藤堂高虎公が築いた天守台に、美しい白壁の大天守と小天守が建てられています。大天守と小天守の間の薬医門から城の中に入りました。
    
藤堂高虎像 
 
2階には日本100名城の写真や藤堂家の調度品や藩主の書画などが展示されています。最上階の3階からは見晴らしがよく伊賀の街を一望できます。 
    
筒井天守跡が見えました。 
 
しゃちほこが見えました。   
 
 表門跡
 


<俳聖殿>

俳聖松尾芭蕉は伊賀市で1644年に生まれ、俳聖殿は昭和17年(1942年)に芭蕉生誕300年を記念して建設されました。松尾芭蕉の旅姿を模して造られています。二層の丸い屋根は旅笠、俳聖殿の木額が顔、一層の八角形屋根は蓑や衣装、堂は脚部、回廊の柱は杖と足を表現しています。
    
 
俳聖殿内には伊賀焼で作られた実物大の芭蕉翁が鎮座しています。台座もすべて伊賀焼です。 
   
芭蕉翁記念館の芭蕉銅像 
 
俳聖殿の表門  芭蕉翁記念館内部 

<忍者博物館>
忍者博物館は世界一の忍術資料を誇る忍者の博物館です。江戸時代末期の土豪屋敷を移築した「忍者屋敷」では、忍者がさまざまなカラクリを案内してくれます。また、忍者に関する貴重な資料を集めた「忍術体験館」「忍者伝承館」があり、本物の忍者道具や資料を見ることができます。  
    
 

<伊賀国分寺跡>
伊賀国分寺は、奈良時代に建立された国分寺のひとつです。各建物の基壇跡がわずかな高まりとなって残存しています。金堂の前後に中門・講堂を配し、中門の南西方向に塔が配置されていました。 
 
 
  宿泊したホテルサンピア伊賀 

(2022.3.8撮影)
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