猿島

  猿島は東京湾に浮かぶ唯一の自然島で、しかも無人島です。東京湾には計24もの島が存在しますが、そのうちの23は人工の島なのです。現在は無人島ですが、縄文時代・弥生時代の土器や人骨が発見されていることから、かつては人が住む島だったようです。この島は、江戸時代から太平洋戦争終戦まで、軍の要塞として使われたという歴史があり、さまざまな遺跡が残っています。
猿島へは、京急横須賀中央駅から徒歩約15分の三笠桟橋から連絡船が出ていて、約10分の航海で行くことができます。周囲は約1.6km、南北の長さは直線距離で約450mです。
 
 
鎌倉時代、布教のために船で鎌倉へと向かった日蓮上人が、海上で嵐に遭遇し、方角を見失い危機に陥いりました。そこへ一匹の白猿が現れて島へと導き、難を逃れることができました。それ以来、猿島と呼ばれるようになったという伝説が残っています。猿島に猿はいません。 
この船で渡りました。猿島桟橋に到着し、振り向くと、横須賀市街が見えました。 
桟橋から少し歩くと、すぐに森に隠れた、旧日本軍の要塞跡地巡りが徒歩でできます。この要塞は2015年に近代軍事施設として初めて「国史跡」に指定され、「日本遺産」にも指定されています。
 
 発電所
 
戦争中に使用された弾薬庫や兵舎が石塀沿いに設けられています。フランス積みという方式で積み上げられたレンガの建造物は、日本に数カ所しか現存しない貴重なものです。 発電所が建造されたのは1893~95年です。夜間、東京湾へ侵入しようとする敵軍を見張るためのサーチライトの電源が必要だったのです。外から見破られないよう、煙突の高さは通常よりも低めの約10メートルです。発電所は今も機能し、島内の電力は自給しています。 
兵舎、砲台、そして長いトンネルが続き、要塞エリアの重厚な雰囲気を味わうことができます。
 
島内にはトンネルが3カ所あり、いずれもれんが造りのものとしては日本最古級です。 
トンネル内は敵に見つからないように傾斜がつけられ、出口が見えづらくなっています。薄暗い内部ではカップルが寄り添って歩くことから、いつしか「愛のトンネル」と呼ばれるようになりました。 
 
レンガ積みのトンネルが要塞のような雰囲気を出していることから、アニメ映画「天空の城ラピュタ」の一コマのように見えます。 
 
トイレ跡 
 
 1847年には、江戸幕府が外国の軍艦から日本沿岸を守るために、無人島猿島に石垣を築いて大砲の台場を造り、明治時代になると、洋式砲台が備えられた要塞として整備され、東京湾の守りにつきました。 
 
 
右が愛のトンネル、左が展望台方面へと続きます。もっとも有名な写真スポットで、三方トンネルが交わることから、三叉路ともよばれています。 
 
富士山が見えました。 
 
砲台跡  当時の写真です。 
 猿島は東京湾ののど元に位置するため、海の守りの要として、幕末・明治初期・昭和と3度に渡り砲台が築かれました。黒船がたびたび姿を見せはじめた幕末の頃、江戸幕府は海上防備のため、全国初のお台場と呼ばれる砲台を、猿島に3ヶ所建設し、黒船に対する守りを固めました。以来、猿島は「要塞の島」としての歴史を歩み始めました。明治時代中期、明治政府は東京湾の守りを固めるために、猿島に砲台と要塞を設けました。砲台には敵国の戦艦を迎え撃てるよう、フランスから輸入したカノン砲が配備されましたが、実戦で使われることはありませんでした。
 その後、第二次世界大戦の激化とともに戦雲が本土へと迫り、再び防衛施設として重視されることになります。昭和16年頃より鉄筋コンクリート制の円形の砲座が5座造られ、その上には高射砲が配備されました。高射砲は終戦とともに進駐軍に解体され、砲台だけが残されました。猿島に現存する砲台跡は、この時期のものです。  
猿島の中央にある猿島展望広場は、ジャングルのように鬱蒼と茂る木々を抜けた先にあります。108段の階段を上らなければいけないので少し大変ですが、横須賀を一望する美しい景色に出会えました。富士山も見えました。 
 
 
猿島展望広場にある白い防空指揮所は、「仮面ライダー」の悪役ショッカーの基地としてロケが行われていた建物です。 
 
 
高角砲跡  銃弾の跡 
高角砲跡には、通路や弾室が残っています。
 
この船で帰りました。船は30分ごとに出ています。   
船から横須賀市街がよく見えました。 

(2023.7.30撮影)

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