さきたま古墳公園

  埼玉県行田市にある「さきたま古墳公園」は、9基の大規模な古墳(埼玉古墳群)を有する公園です。ここは、周囲に利根川と荒川が存在する肥沃な土地で、5世紀後半から7世紀初めまでに次々と作られたと思われる古墳が数多く存在しています。かつては大小含めて40基以上も存在していましたが、明治末から昭和初期にかけて農業用に土が削り取られて多くが姿を消しましたが、現在では前方後円墳8基と円墳1基が残っています。

<稲荷山古墳>
稲荷山古墳は全長120mの前方後円墳で、埼玉古墳群では2番目に大きな古墳です。古墳が造られた時期は5世紀後半ころと考えられ、埼玉古墳群のなかで最初に造られた古墳です。 
 
 
発掘調査で、後円部からひつぎの周囲に小石を覆った礫槨(れきかく)と粘土を敷き詰めた粘土槨という2つの埋葬施設が発見されました。礫槨は非常に良い状態で残されており、多くの副葬品が出土しました。 
 
 

<将軍塚古墳>
将軍山古墳は、全長90mの前方後円墳です。明治時代に後円部に造られた横穴式石室が発掘され、多くの副葬品が出土しました。 
墳丘、周囲の堀の復原や、墳丘に埴輪のレプリカを並べるなど、古墳が造られた当時に近い形で整備されています。 
 
 
古墳の内部には、複製の石室や遺物の置かれた状態を見学できる施設である将軍山古墳展示館が造られています。
 
 
 石室内に副葬された当時の状態を想定して配置し、埋葬の様子を再現されています。
 
 

<丸墓山古墳>

丸墓山古墳は、直径が105mで高さが18.9mもあり、日本で一番大きな円墳と言われています。
 丸墓山古墳は春には桜でとてもきれいな場所です。公園一番の桜スポットになっています。 
 
頂上に上がることができ、周囲を見渡すことができます。1590年の豊臣秀吉と小田原北条氏の戦い(小田原の役)で忍城を水攻めにした石田三成が、水攻めの進行具合を確認するために「丸墓山古墳」の頂上に本陣を築いたとされています。 

<二子山古墳>
二子山古墳は、墳丘長132.2mで、古代の武蔵国では最大、東日本でも第10位の巨大さです。二重の堀を含めると全長は240mにも及ぶ巨大な前方後円墳です。
前方部と後円部という2つの山が連結したような形状が名の由来です。 
 
 
 墳丘周囲の調査で出土した埴輪や須恵器から、6世紀初頭前後に造られたと推定されています。 


<鉄砲山古墳>
鉄砲山古墳は全長が約108mの前方後円墳で、埼玉古墳群の中では3番目に大きな古墳です。出土した土器や埴輪の様子から6世紀後半に作られたということが分かっています。
 
 
江戸時代の終わり頃、忍藩が砲術演習場としてこの古墳を利用していたためにこの名前がつきました。発掘調査によって、当時使われていた鉄砲玉が出土しています。  

<瓦塚古墳>
瓦塚古墳は、全長73mの前方後円墳です。古墳名は明治時代、近くに瓦職人が住んでいたことに由来します。 
   

<愛宕山古墳>
墳丘長は54.7mと、埼玉古墳群で最も小さい前方後円墳です。墳頂には、かつて愛宕神社が座していたことがあり、古墳の名称の由来となっています。 
   
 墳丘の上には石仏がひっそりと立っています。  

<さきたま史跡の博物館>
 さきたま史跡の博物館」では、古墳からの出土品を多数見学することができます。
 
 

<はにわの館>

はにわの館では、指導員の手助けのもと、はにわ作り体験が出来ます。 
 

<旧遠藤家>(移築民家)

埼玉県幸手市大字千塚から移築された民家で、江戸時代末期に建てられたものです。屋根には煙出しの高窓があります。
稲作農家らしく土間が広く、屋内での仕事がしやすくなっています。

(2021.11.14撮影)
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