藤の寺正法寺

  正法寺(しょうほうじ)は、正法寺山(361.8m)の麓にあります。鎌掛の藤寺として広く親しまれています。本尊の十一面観世音菩薩は、33年に一度の開帳がある秘仏であり、鎌掛(かいがけ)の里では昔から安産の守護仏として深く信仰されています。
今から300年以上も昔に、正法寺の開基である普存禅師が京都から苗木を移植したものです。その藤が300年以上の歳月を経て見事な花房を垂れるようになりました。毎年5月上旬から中旬にかけて、長いものでは1m以上にも達する花房が垂れさがり、連日多くの人でにぎわいます。 
   
本堂 
    
 
生き生きとした藤の花が青空に映えて見事でした。 
 
 放生池
長いものは1m以上あり、目の前に垂れ下がっていました。 天満宮 
   
大日堂 
  金比羅宮 
 
正法寺は正法寺山のふもとにあり、本堂の他に地蔵堂や閻魔堂などがあります。
   
野崎忠左衛門墓 
   芭蕉の句碑 
   
  稲荷神社  
    
閻魔堂 
    閻魔王 
 
 
日野の街が見えました。   
    
高山神社 
 
  地蔵堂 
 
高山神社の御神木  地蔵堂の地蔵菩薩像は片足を下げています。 


<屏風岩>
 鎌掛の屏風岩は、国の天然記念物に指定された巨岩の露頭です。刃物で切りとったように平滑な表面をもち、あたかも4枚折の屏風が山腹に立てかけられているように見えることから屏風岩と呼ばれています。
天然記念物に指定される前の江戸時代には石垣用など建築材料として数多く切り出されて搬出され、「鎌掛石」の名称で神社や寺院、民家等に多く使用されました。そのため現在見られる屏風岩は、かつての3分の1ほどのサイズです。
 
 
  左が城山、右が正法寺山 
チャートと頁岩による互層の層理面と、これに直交する節理面とが交互に見られます。層理と節理とがきわめて明瞭に残されています。


<山屋敷跡>
山屋敷跡は、鎌掛城のあった城山のふもとにあります。蒲生氏がこの日野地域を国人として領有していた時代、鎌掛城はその支城でした。山屋敷は、蒲生氏の居館でした。 
 
城山の山頂に鎌掛城跡があります。 
 
山屋敷の居館跡です。  土塁や堀跡がありました。 
(2021.5.3撮影)
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