旧角海家住宅(輪島市天領黒島角海家)

  旧角海家住宅(きゅうかどみけじゅうたく)は、現存する黒島の代表的な廻船問屋住宅です。明治4年(1871)に大火に遭いましたが、地元の名匠・工野藤兵衛により配置や構造は元通りに再建されました。平成19年(2007)の能登半島地震によって大きな被害を受けた後、土地建物ともに輪島市へと寄贈され、同23年(2011)7月に復元工事を終えました。 
江戸時代に北前船で栄えた門前町黒島地区は、1684年に幕府の直轄地(天領)となりました。ここには多くの廻船問屋があり、角海家もその1つでした。幕末から明治中期にかけ7艘の北前船を所有し、北海道から大阪にかけて幅広く活躍しましたが、廻船業が下火になると漁業や金融業に生業をかえて活躍しました。 
   
正面には内側に蔀戸(しとみど)、外側に簾虫籠(すむしこ)が入っています。蔀戸は横長の板戸で、上下にスライドし、鴨居上部にしまい込むことができる造りになっています。簾虫籠は中から外は見やすく、外から中を見えにくくしています。
    
 
隆盛をしのぶ豪華な収蔵品の数々を展示していて、かつての繁栄ぶりを現在に伝えています。  
   
 
海側には、望楼の間と呼ばれる海を望む望楼が配置されています。ここからは、海の様子がよく見える為、戻ってくる北前船が近づいてきたときはいち早く見つけ、お迎えしたとのことです。 
    
 
旧角海家住宅がある黒島地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、「黒瓦」「格子」「下見板張り」という共通要素を持つ町並みが保存されています。能登半島の家々の多くは黒い瓦が使われています。これは「能登瓦」とも呼ばれていて、マンガンを主原料とする釉薬が使われているため黒い瓦になっています。寒さや塩害に強いと言われている「能登瓦」は、屋根の上に積もった雪を溶かして滑りやすくしているとも言われ、能登半島の家屋には欠かせない瓦です。
   
 
開祖螢山禅師のあとを継いで、總持寺を発展させた峩山禅師が、1364年に定めたのが輪住制です。全国に次々と末寺が建つと、交代で各寺院から上って住職を務めました。1366年から1870年の廃止に至るまでのおよそ500年間、実に5万人近い僧侶が住職を務めたといいます。そして、全国から輪番住職を任された僧侶たちが、本山を往復するために利用していたのが北前船でした。僧侶たちが黒島の港に到着すると、そこから總持寺までおよそ4キロメートルの道のりを、大名のような行列でやってきたといわれています。江戸時代の總持寺の門前には、彼らを迎える總持寺御用達の町人たちが軒を連ね、とても賑やかでした。黒島地区は總持寺の御用達商人だった北前船主の森岡家や角海家など、多くの北前船主が活躍しました。加賀藩の領地内でぽつんと一村だけ江戸幕府の領地(天領)だったことから、全国の僧侶が集まる玄関口となったと思われます。

(2022.5.24撮影)
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