越前大野

  越前大野は、400年を超える歴史と文化を今に受け継ぐ城下町で、北陸の小京都といわれています。大野城を中心に、武家屋敷や昔ながらの日本家屋が立ち並び、随所には豊富な地下水が湧き出て、独特の風情を生んでいます。また、三方には両白山地の名峰が囲い、四季折々の美しい自然景観を見ることができます。

<越前大野城>

越前大野城は、大野盆地にある標高約249mの亀山に築かれた平山城です。 安土城が築城された前年、1576年頃、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近により、4年の歳月をかけて築城されました。
亀山の頂上に越前大野城の天守閣が見えます。 
大野城は2層3階建の大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、外堀・内堀をめぐらし城を守っていました。 
    
 
旧大野治安裁判所です。大野市民俗資料館として使われています。  柳廼社です。 
城への登り口は、北口、百間坂、西口、南口の4個所あります。百間坂は、江戸時代に城の本丸へ行く時に通っていた道です。
    
 
土台となる石垣は、自然石をそのまま積み上げた野面積み(のづらづみ)という工法で作られています。  
    
 
  初代城主 金森長近の像 
現在の天守は、昭和43年に絵図や同時代の城を参考に再建されたもので、内部には歴代城主の遺品が数多く展示されています。  
    
 
天守閣から360°の展望を見ることができます。経ヶ岳が見えました。左の遠くに白山が少し顔を出していました。
天守からは、眼下には北陸の小京都と呼ばれる市街地を一望することができます。  
荒島岳が見えました。  木砲がありました。 
 
 南入口の城門
 
  お福池 

<時鐘>
越前大野城の麓に、中心観光スポット「結(ゆい)ステーション」があります。そのランドマークが「時鐘」です。高さ約10mの木造建築で、壁面には電波時計が4面に取り付けられています。その上にかつて消防用に使われていた実物の半鐘が吊り下げられています。
時鐘の後ろに、荒島岳が見えました。 
 
結ステーション 
 
時鐘の後ろに、越前大野城が見えました。 

<越前大野の湧水>

水の町として知られた大野は、地下水が豊富で、湧水池(ゆうすいち)が街のいたるところにあります。大野では湧水のことを「清水(しょうず)」と呼び、今でも市民に親しまれています。周囲の両白山地を水源とする地下水が盆地を張り巡らしているので、水脈が豊富にあり、越前大野は日本屈指の名水の町として知られています。 

【新堀清水】
亀山の南側を流れる新堀川沿いに湧く清水です。「ふくいのおいしい水」に認定されています。新堀川は金森長近が越前大野城を築いた際に、外堀として掘られたものと言われています。
 
 

【御清水】
御清水は昭和60年当時の環境庁名水百選にも選ばれた味わい豊かな水です。古くはお殿様のご用水として使われていたことから、殿様清水とも呼ばれています。夏冷たく冬温かい地下水は、さっぱりとした自然の口あたりです 
 
 

【芹川清水】
武家屋敷旧内山家と平成大野屋の境を流れる芹川に合流し、百間堀に注ぐ清水です。かつては、芹川を境に武家屋敷と町人屋敷が区別されていました。 
    
 

【石灯籠会館清水】
   
大野市で利用されている生活用水の水源は、ほとんどが地下水です。地下水は使い過ぎるとと井戸枯れや地盤沈下などの地下水障害につながります。大野盆地内の地下水を守るため、継続的に地下水位を観測して監視しています。 

【七間清水】
七間清水は、朝市の立つ七間通りにあります。造り酒屋が醸造用にくみ上げている地下水で、これを水場で飲めるようにしています。 
   
大野市には、市街地を中心に約8,000本の井戸があり、各家庭で地下水をくみ上げて、生活用水に利用しています。 

<藩主隠居所>
    
 
<武家屋敷旧内山家>
幕末期、大野藩の財政再建に大きな功績を残した家老、内山良休・隆佐兄弟を輩出した内山家の屋敷です。 
 
 
数寄屋風書院建築の離れの座敷から眺める庭園は情緒豊かです。城見障子から眺める景色は、涼しさと日本らしさを楽しむことができ、格別です。 
 
 
    
衣装蔵 
 
2階は天井がアーチ状の舟底天井になっています。  味噌蔵 

<武家屋敷旧田村家>
旧田村家は大野藩の家老を務めた田村又左衛門家の屋敷跡です。主家は1827年に建てられた県内でも数少ない武家住宅の一つです。また庭園の東側にある築山は、越前大野城を築城した金森長近が、外敵が侵入するのを防止するために外堀に沿って造らせたと言われている土塁の一部で、ここだけ残っています。 
   
期間限定で非常にきれいな風車棚が設置されます。そのため写真スポットとして人気を集めています。 

<寺町通り>
今から約400年以上前、織田信長の部将金森長近公が大野へ入封後、京の都に模して碁盤の目の町づくりをはじめました。町の東端に寺院を集めて「寺町」をつくり、そこから西に向かって、五番・四番・三番・二番・本町通りを配置したのです。南北に約20ヶ寺が並んでいます。
 
 
 
 

<七間通り>
七間通りにたつ朝市は、400年以上の歴史を誇っています。全国的にも珍しい、地面に農産物や加工品を並べ、生産者とお客さんが楽しい買い物を行える市です。 
     
  元町会館  大野藩札両替所跡 
<石灯籠通り>
石灯籠通りの歩道には、石灯籠が並んで松も植えられています。
   
  雪よけのカバー付き信号 
戦国時代に築かれた越前大野城を中心に、碁盤目状に広がる越前大野の町並みは、約400年以上前に、金森長近が大野へ入封後つくったもの。町の東端に寺を集めて寺町とし、そこから西へ、五番通り、四番通り、三番通り、二番通り、本町通りを配置しました。長近が城下町を整備する際、石灯籠地蔵尊を測量の基点としました。
<越前大野の芝桜>
5月になると越前大野市の田んぼのある地域では、いたるところにピンク色をした芝桜が現れます。静かな農村に彩りを添えようと、1992年に数件の農家で始まった芝桜の植栽です。今では30件以上の農家が植栽をしています。
 
芝桜が輝いていました。 芝桜と越前大野城 

(2021.5.10撮影)
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