醒井宿
醒井は、滋賀県米原市に位置する清流・地蔵川沿いの風景が美しい小さな街です。江戸時代には五街道の一つ中山道の61番目の宿場町として栄えていました。
地蔵川の梅花藻
地蔵川は、居醒の清水などから湧き出る清水によってできた川で、大変珍しい水中花「梅花藻(バイカモ)」で有名です。水温は年間を通じて14度程度と安定しており、貴重な淡水魚である「ハリヨ」も生息しています。 |
梅花藻は、キンポウゲ科の淡水植物で、川の中から顔を出すように梅に似た小さな花を咲かせます。例年の見頃は5月中旬から8月下旬までで、サルスベリの咲く頃には水面に浮かぶ白とピンクのコントラストに魅かれます |
「地蔵川」は「居醒の清水」を源として、醒井集落を旧中山道に沿って流下し、天野川に合流する小河川です。 |
源海寺 |
江龍家表門
江龍家表門です。庄屋を務めていた江龍家の屋敷は本陣並の規模を誇っていました。明治天皇御駐輦所と刻まれた石碑が立っています。 |
醒井宿問屋場
問屋場(といやば)とは江戸時代、街道の宿駅で、宿場を通行する大名や役人に人足や馬の提供、荷物の積替えの引継ぎ事務を行なっていたところをいい、完全な形で残っているのは全国でも珍しい例です。現在は資料館として公開されています。 |
醒井宿本陣跡
醒井本陣跡です。現在は「樋口山」という老舗料理店になっています。 |
醒井公会堂
醒井公会堂は昭和11年(1936)の建築で、洋風でおとなしいデザインの小規模な建築物です。和洋のデザインと工法を混在させた、昭和初期の公民館的な建物として貴重なものとされ、平成15年、国の登録文化財となりました。 |
醒井公会堂 | 醒井公民館 | 長寿橋 |
醒井木彫美術館
延命地蔵堂は、堂内には花崗岩を丸堀した総高270㎝の大きな石地蔵である延命地蔵尊が安置されています。元は地蔵川の水中にあって尻冷やし地蔵と呼ばれていました。地蔵川の名前は、延命地蔵尊に由来します。 |
御堂前の笑っている仏像 | 御堂脇の沢山の地蔵尊 |
居醒の清水は、加茂神社の境内に湧く湧水で、醒井宿を中山道に沿って流れる地蔵川の源流です。古くは、「古事記」や「日本書紀」 にも登場し、日本武尊が熱病に倒れた時、体毒を洗い流した霊水とも伝えられます。石灰岩質の霊仙山(1094メートル)に浸み込んだ水が長い時間をかけて湧き出す居醒清水は一日およそ1.5万トンの湧水量を誇ります。 |
「醒井湧水群」は、平成の名水百選にも選定された「居醒の清水」 のほか、「十王水」、「西行水」などの各湧水に、枝折集落の「天神水(灌田水)」を含めた、いずれも石灰岩地帯の湧水群です。 |
左が日本武尊が伊吹山征伐の後に腰をかけて休んだとされる「腰掛石」、右が馬の鞍を掛けたとされる「鞍掛石」です。 |
水準点 | ||
伊吹山の大蛇との戦いの結果、熱病に倒れた日本武尊が、伊吹山の麓に涌出る「居醒泉 」の水を飲んで解毒し目が覚めたとの話が古事記・日本書紀に記されています。醒井という地名も、これに由来するようです。 |
一の鳥居から階段を上っていくと拝殿があります。 | 四面ガラスの拝殿です。 | |
拝殿からさらに階段を上ると本殿があります。 | ||
加茂神社の境内から見た醒井宿 |
醒井宿の石碑です。このあたりが宿場の入り口でした。1843年の「中山道宿村大概帳」によれば、人口539人、家数は138軒で本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒という比較的小さな宿場でした。 |
古民家を改修の店和カフェ「たち季」で食事をしました。 | ||
真宗大谷派の緑苔寺。山門は鐘楼門になっていて、門に鐘が下げられています。 |
ドライフラワーの小物を製作、販売していました。 |
創業100年を超える老舗醤油店です。 | 店先の梅花藻 |
了徳寺境内には、推定樹齢約165年、幹囲4.3m、樹高約20mのオハツキイチョウがあり、天然記念物に指定されています。オハツキイチョウとはイチョウの変種で、葉の上(葉の縁)にギンナンが実るという珍しいものです。 |
十王水は、居醒の清水 とともに醒井湧水群の一つで、石灰岩からの湧水です。平安中期の天台宗の高僧・浄蔵法師がこの水源を開き、仏縁を結んだといわれており、近くに十王堂があったことから十王水と呼ばれるようになりました。 |
地蔵川にかかる醒井大橋 |
大正時代に建築された擬洋風建築の旧醒井郵便局。 現在は醒井宿資料館です。 |
松尾寺政所。醒井尋常高等小学校の玄関を移築したものです。後方は料理旅館醒井楼でした。 |
馬頭観音 |