木曽路一石栃

一石栃は、中山道沿いにあり、妻籠と馬籠の中間に位置し、古くから旅人が疲れをいやす休憩地として栄えたところです。往時は7軒ほどの家があって栄えていました。今では牧野家住宅一軒のみが残っています。 

一石栃立場茶屋(旧牧野家)

一石栃立場茶屋は、江戸中期の建物で、立場茶屋の遺構です。立場茶屋は、宿場と宿場の間にあって、旅人や人足、駕籠かきなどが休息する場所のことです。もともと杖を立ててひと休みしたのでその名が生じたといわれています。
 
 
 
 

一石栃白木改番所跡

 一石栃白木改番所跡は、檜、サワラなどの木曽五木をはじめとする伐採禁止木の出荷を監視していた番所の跡地です。当時は無断で木曽の木を持ち出すと「木一本首一つ」といわれるほど罰則が厳しかったのです。
 
一石栃白木改番所跡  一石栃の枝垂桜 
一石栃子安観音

一石栃沢流域に住むものは難産しないという古くからの言い伝えがあり、信仰の対象として子安観音が祀られていました。

   


馬籠峠

 
  峠の茶屋です。この日は営業していませんでした。 

水車塚
1904年(明治37年)にこの地の家屋が水害により流され家族4人が溺死しました。たまたま生き残った一人の男性が島崎藤村と知り合いであったため、藤村に碑文を依頼してこの地にその碑を建てたのが水車塚の碑です。
 
水車小屋の中 
 
   
水車塚の碑     

男滝、女滝

男滝、女滝は、吉川英治の小説「宮本武蔵」の舞台となった滝であり、小説では武蔵とお通の情念の恋の場として登場します。滝壺に金の鶏が舞い込み、そこから時を告げる鶏の声がしたという倉科様伝説が伝わっています。落差は10m程ですが、滝に向かって左側に男滝、右側に女滝と一か所で2つの滝を楽しむ事ができます。中山道の妻籠から馬籠へと続く峠道の途中にあります。
 
 
 
男滝です。水しぶきが舞い上がっていました。   
 
 
 
女滝です。  馬籠と妻籠の間にあります。 

中山道
 
 
南木曽町吾妻の峠入口です。南木曽町を南北に貫く中山道は、国史跡に指定されていますが、中でもこの付近は中山道の形状がよく残っているところです。

馬籠上陣馬
馬籠上陣馬は、1584年、徳川家康と豊臣秀吉が戦った小牧・長久手の戦いの時、徳川方の菅沼・保科・諏訪氏の軍が陣をとった場所です。恵那山が一望できる絶景ポイントです。隣には、馬籠宿に生まれた小説家、島崎藤村の「夜明け前」の一節を記した看板や、高札場の復元もあります。
正面に恵那山が裾野まで見える絶景です。 
 
 
恵那山は標高は2,191mで中央アルプス(木曽山脈)の最南端に位置する山です。船を伏せたような形に見えるため舟覆伏山 (ふなふせやま)などの別名もあります。
 
 
どっしりとしたたたずまいの恵那山です。  
 

落合の石畳
合宿と馬籠宿の間には急な坂道が多くあり、旅人の便を図ると同時に坂道を大雨から守る策として、この落合の石畳が作られました。今は、昔の姿を留めていた三ケ所を含めて約840mが再現されています。
 
 
全長840mにも及ぶ石畳は 国指定史跡となっていて、そのうち約70mは当時のまま残っています。 老朽化や石の持ち去りなどの理由もあり、当時のままの石畳が残るのは、東海道の箱根と落合の2ヶ所のみといわれています。

新茶屋の一里塚
この辺りの地名を「新茶屋」といいます。かつての茶屋はここから岐阜県側に数百mほど入った場所にありましたが、江戸の終わり頃に現在地に移りました。そのためここを新茶屋と呼ぶようになりました
 
 
  一里塚の碑 
江戸幕府は一里ごとに道の両側に土を盛って塚を築き、塚の上には榎または松を植えて、旅の行程や駄賃・運賃の目安としました。現在中山道ではほとんどが失われていて貴重な遺構です。 
 
信濃、美濃国境の碑 
 
新茶屋です。わらび餅がこの茶屋の名物でした。 「是より北木曽路」の碑 
ここは長野県と岐阜県の境で、木曽路の入口にもあたります。ここから江戸への旅が木曽路(十一宿)、京側が美濃路(十六宿)となります。 

(2021.8.28撮影)
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