美濃金山城跡

  美濃金山城は、1537年に斉藤道三の養子斉藤大納言正義によって古城山の山頂に築かれました。本格的山城で烏峰城と名付けられていました。1565年に森可成が織田信長からこの城を賜り、以後森家3代の居城となっていました。金山城と改称し、長可、蘭丸、忠政が城主となって、関ヶ原の戦いの後に破城しました。 

【出丸】

出丸は、第一防衛戦のために大手口に築かれた重要施設でした。
 
 
出丸は敵情監視の絶好地点でした。 出丸の石垣です。
【三の丸】
 
 
三の丸跡です。   
   
 
城を故意に壊して再び城が築かれないようにした破城の痕跡です。  水の手です。 
【大手枡形】
 
 
武士が本丸へ登るために衣紋の乱れなどを直していた大手枡形です。 二の丸跡です。 
【本丸】
 
 
本丸は、古城山の山頂部にありました。北側に天守を設け、隣接して南東側に小天守、さらに小天守の南西側に袖櫓が隣接していました。そして、中央部に本丸御殿、南西側に西南隅櫓を設けていました。
 
 
本丸跡から木曽川や兼山の町などを見ることができました。   本丸虎口です。 
本丸のあった標高277mの山頂からは東・中濃地区が見渡せます。 
【復元図】
可児市戦国山城ミュージアムでもらった復元図の写真です。今回は、出丸の駐車場から出発して、三の丸、二の丸、枡形虎口と進み、本丸跡まで登りました。 

<可児市戦国山城ミュージアム>
金山城の麓、兼山町には廃校となった小学校の校舎を使った兼山歴史民俗資料館がありましたが、2018年にリニューアルして可児市戦国山城ミュージアムとなりました。兼山は350年ほど前に金山から改名されましたが、信長が命名したともいわれる金山城の城下町です。 
 
 
戦国山城ミュージアムの正面です。  久々利城再現ジオラマです。 
   
となりに可児市観光交流館がありました。  別館です。 
(2020.1.13撮影)
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