下呂2021

  下呂温泉は、兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉と並ぶ「日本三名泉のひとつ」と称された天下の名泉です。下呂の温泉街から4キロほど離れたところに、湯ヶ峰という海抜1,067mの山があります。この山はおよそ10万年前に噴火した火山といわれ、下呂温泉は最初、この湯ヶ峰の頂上付近で平安時代の中頃にあたる天暦年間(947~957年)に発見されました。 
<下呂温泉街>
下呂大橋を中心に飛騨川沿いに賑わう温泉街は、歩いて周遊ができる距離に見どころや旅館、飲食店が集まっています。噴泉池や手湯・足湯など至るところで湯煙があがり、情緒溢れる温泉街散策が楽しめます。 
    
江戸時代の儒学者「林羅山」の像   
江戸時代の儒学者 林羅山は、下呂温泉を有馬、草津とともに「天下の三名泉」と称しました。 
   
加恵瑠大明神 
 
加恵瑠神社です。   
加恵瑠神社は、 「げろ」にちなんだネーミングと「無事帰る」などの語呂合わせに、縁起やご利益を楽しめる下呂温泉の新しい観光名所です。賽銭を入れると、加恵瑠大明神 のお告げが聞けました。カエルは、「ゲロゲロ」という鳴き声から、下呂温泉のマスコット的な存在として親しまれています。
    
本陣飛騨屋 武川久兵衛宅址
 
下呂プリンが若者に人気でした。濃厚でおいしいプリンでした。 
下呂は、江戸時代には温泉湯治の文化もあり賑わっていました。宿場としては本陣・脇本陣まで備わる本格的な宿場で、現在の温泉博物館の地がかつての本陣の跡地でその向かいの駐車場や常夜灯のある地が脇本陣であり街の中心地でした。

<温泉寺>
下呂温泉に伝わる白鷺伝説の薬師如来が祀られた寺です。伝説の薬師如来が祀られています。 
 
温泉寺の境内は、地蔵堂から長く続く173段の石段を上がったところにあります。山門を抜け境内に入ると、そこからは下呂の町並みが一望できます。 
 
本堂前にある湯薬師如来尊像からは、下呂温泉の霊湯が湧き出ていて、薬師如来の霊験を今に伝えています。 
 
下呂温泉の地は江戸時代には飛騨街道(益田街道)の宿場でありその名も湯之島宿でした。下呂は美濃太田宿への飛騨街道以外に中津川への南北街道との分岐点でもありました。
 
いでゆ朝市 
 
高札場がありました。  かえるの滝 

<縄文公園>
縄文公園は、峰一合遺跡の史跡公園です。縄文時代に集落があった峰一合遺跡、室町時代に築かれたとされる山城・森城跡、10万年前に噴火し、下呂温泉や下呂石などに深いかかわりをもつ湯ヶ峰、これらが一体となり自然の雄大さと歴史を知る公園として散策を楽しむことができます。
縄文時代の竪穴住居2軒と弥生時代の住居1軒が復元されています。 縄文時代前期から弥生時代にかけて集落があった峰一合遺跡からは、おもに「下呂石」を使った石器類や土器類が発見されています。
   
竪穴住居内部 
 
弥生時代後期約1800年前の竪穴住居  縄文時代前期約5800年前の竪穴住居 
    
竪穴住居跡保存館 
 
縄文時代前期約5800年前の竪穴住居   保存館の内部 
保存館に発掘当時の住居跡の状態が保存してありました。ガラス張りになっているので、柱穴や炉址がよく見えました。
 
 
縄文橋からの眺め  縄文橋 

<下呂ふるさと歴史記念館>
下呂ふるさと歴史記念館は、1966年から1970年の間に発掘調査された峰一合遺跡の調査成果公開の機関として、1972年5月1日に「中部山岳考古館」という名称で開館しました。1985年に館名を「峰一合遺跡考古館」に、そして1995年に「下呂ふるさと歴史記念館」に館名を改称し、現在に至ります。展示品は旧下呂町の範囲に限らず、下呂・萩原・小坂・金山・馬瀬の注目すべき考古・歴史資料を展示する「総合型博物館」に生まれ変わりました。 
    
美しい縄文土器です。 
 
下呂ふるさと歴史記念館  下呂石です。 
<下呂森城跡>
縄文公園上には、城平見晴台があります。 この城平には、室町時代にこの地を治めていた森和泉守という武将の「森城」があったとされ、空堀跡が残っていることから城らしさを演出するため石垣を築き、この上に砦をイメージして造られました。
    
 
    
山頂が主郭で広々としており、櫓があって眼下に川や下呂の町が見えます。室町時代中期に森和泉守が築城したと言われていますが、定かではありません。
城平見晴台からの展望です。飛騨川と下呂の町がよく見えました。  
 
実った田がきれいでした。   


<合掌村>
下呂温泉合掌村は、白川郷などから移築した国指定重要有形民俗文化財の「旧大戸家住宅」をはじめ10棟の合掌造りの民家を配し往時の生活を知る貴重な場所です。 
    
 
村内は「合掌の里」と「歳時記の森」の2つのゾーンで構成されており、それぞれに飛騨の生活文化と山野草をはじめ、さまざまな植栽などから日本の四季を感じることができます。
    
 
旧大戸家住宅  2階は養蚕などの作業場でした。 
合掌の里で中心となる建物が、旧大戸家住宅(国重要文化財)です。旧大戸家住宅は、大戸継盛氏宅で白川村民家(合掌造)の代表例です。現在の白川郷集落の南約10㎞の地にありました。御母衣ダムの建設に伴い、昭和38年に原形のままここに移築されました。大家族制度を代表する合掌造りの建物です。
    
 
旧大戸家住宅は、1833年から13年の歳月をかけて建てられました。こ合掌造りの建物は三階建てで、一階は住居で囲炉裏があります。その上が、吹き抜けになってて、二階で桑の葉を管理したり、三階で養蚕する温度を調整するのに、適した建築だったようです。 
    
 
旧岩崎家(民俗資料館)   
「旧岩崎家住宅主屋」は、江戸中期の建築で、本を伏せたような屋根の形である切妻造り茅葺です。木造1階建てで屋根裏にも部屋があります。世界遺産の富山県南砺市の五箇山から、1968年に移築しました。白川郷の合掌造りは、屋根の三角部分が側面になる「平入」ですが、この建物は三角部分が家の 正面になる「妻入」であり、五箇山の伝統的な合掌造りといわれています。 
 
影絵昔話館「しらさぎ座」  夫婦杉 
    
円空館 
 
飛騨工房とかえるの館  円空作の三面顔の青面金剛神像
円空(1632-1695)は江戸時代初期、全国各地を巡り、およそ12万体もの神仏像を作ったとされる遊行僧です。下呂市にも1691年、60歳のころ滞在し、晩年の成熟した作品約180体が確認されています。円空館にはそのうちの29体の円空仏と資料が展示してあります。 
 
かえる神社 
 
歳時記の森  全長175mの森のすべり台 
かえる神社」の中には、かえるが祀ってあります。下呂の町にはいたるところにかえるの絵や置物がありました。なぜカエルかとたずねてみると、下呂、ゲロ、ゲロゲロ・・・カエルの鳴き声、つまりは洒落です。

<宿泊したホテルの部屋からの眺め>
 宿泊したホテルの部屋から縄文橋と飛騨川がよく見えました。
 
宿泊した大江戸温泉物語下呂新館

(2021,9,11撮影)
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