二川宿本陣

  二川宿本陣は,1807年より1870年の本陣廃止まで本陣職を勤めた馬場家の建物です。大名や公家など貴人の泊まる宿であった本陣は,旧東海道筋の宿場には2ヶ所しか現存していなく,その一つが二川宿本陣です。
    
 書院棟
 
玄関棟   上段の間
書院棟は大名が宿泊・休憩する上段の間をもつ書院造りの建物で、上段の間は大名など身分の高い者しか宿泊することのできない部屋です 
 
 
 
 
主屋は、家族や使用人の居住部分と、利用者が使用する休泊部分に分かれていました。板の間には蔀戸が備えられ、街道から直接荷物を運び込むことができました。

旅籠屋「清明屋」
「清明屋」は,11789年から1801年頃に開業した旅籠屋で,代々八郎兵衛を名乗っていました。本陣のすぐ隣にあったことから,大名行列が本陣に宿泊した際には,家老など上級武士の宿泊所ともなりました。(旅籠屋とは,江戸時代,武士や町人などの旅人が宿泊した施設で、1泊2食付きを原則とし,米を持参して自炊する形式の木賃宿とは区別されています。)
    
 
主屋(繋ぎの間・奥座敷) ミセの間
繋ぎの間は,一般客の宿泊に使われた部屋であり,奥座敷は,一段高くなった部屋で,家老など上客の宿泊に使われていました。ミセの間は、街道に面した板の間で、荷物置場や帳場として使われていました。 

(2005.5.14撮影)
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