七里の渡し(熱田)

  江戸から東海道を宮宿(熱田)まで来ると,次の桑名宿まで海上を船で渡ることになります。熱田から桑名まで海路七里あったことから「七里の渡し」と呼ばれています。朝の一番船は午前4時(明け七つ)で,暮れは七つ(午後4時)で停止されました。したがって午後4時以降に宮宿へ着いた旅人はどうしても宿泊せざるを得ませんでした。
    
 
堀川と新堀川の合流点にあり,東海道「宮」の宿から桑名へ渡る「七里の渡し」の渡船場跡です。 
    
 
安藤広重の「東海道五十三次」の図にも「宮」の船着場の風景があります。 
 
 
丹羽家…江戸時代の幕末の頃,脇本陣格の旅籠でした。  

(2006,6,10撮影)
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