良参寺
良参寺は1585年に開創され、1733年に現在地に移転しました。 我が国初の日本語訳聖書の出版に協力した音吉、岩吉、久吉の墓はここ良参寺にあります。
本堂前には樹齢400年を越すと言われるイブキが二本あり、境内には珍しいカナリー椰子の巨木があります。 |
弘法堂 | |
大理石を乗せた亀石 | 本堂 |
「宝珠正覚坊」(宝珠=大理石を乗せた亀石=鍾乳石)が祀られています。 |
1832年に江戸に向かう途中遭難してアメリカに漂着した宝順丸の乗組員14人の墓碑が本堂裏にあります。遠州灘沖での遭難後173年ぶりに帰国を果たした音吉の遺灰は、訪問団一行とともに小野浦へ到着し、地元の盛大な歓迎を受けた後、良参寺の墓に無事納められました。 |
樹齢400年の巨木の根元に現れた「子抱観音」です。 | 赤ん坊を抱いているように見えます |
<音吉顕彰碑>
山本音吉の生誕200年を記念して建立された銅像が愛知県美浜町にあります。山本音吉と共に漂流し生きながらえた岩吉と久吉の三吉を顕彰する石碑もあります |
山本音吉の銅像と顕彰碑文 | 岩吉・久吉・乙吉頌徳記念碑 |
音吉は、1832年宝順丸という千石船に乗り江戸へ向かう途中嵐に遭い、太平洋を1年2か月も漂流した後アメリカ西海岸へ漂着しました。その後イギリス経由でマカオに送られ、そこでドイツ人宣教師ギュツラフの聖書の和訳に協力、翌年モリソン号に乗り日本へ帰国しようとしましたが、浦賀、鹿児島で砲撃を受け帰国を断念しました。そして中国にて、多くの日本人漂流民の援助を行い送還の手助けをしました。また、イギリス海軍の通訳として日英交渉に力をつくしました。1862年にシンガポールへ移り、貿易商として成功し、シンガポールで永眠しました。 |
<多賀神社>