大府巡り2020-5
藤井神社(横根)
藤井神社は六ヶ村を集約する横根郷一帯の氏神として明治5年郷社に指定されるなど盛況を極めた神社です。藤井神社の創建は、7世紀後半という説と、鎌倉時代、源頼朝が父の法要を行うために野間大坊へ行く途中、ここに立ち寄り、古くなっていた建物を見て再建に着手したという説があります。 |
本殿と社務所です。 |
藤井宮御酒瓶子という御神酒を入れる壺が発見されました。 | 砲弾の碑です。 |
藤井宮御酒瓶子は、鎌倉時代1221年頃のの作で、「藤井宮大明神御酒瓶子」の陰刻がなされています。鎌倉時代に藤井宮大明神がここに存在していたことを証明しています。 |
藤井の泉です。その昔には泉が湧き出ていたといわれています。知多三泉の一つに数えられています。 この付近は「横根」と言われていますが、この横根は鎌倉街道に出るための重要な宿場町として栄えていました。旅人たちは、この泉で喉を潤し、藤の木の影で涼みました。そのため、藤井という名前がつきました。 |
山車の蔵です。山車は江戸時代末期の作です。 |
1973年に森岡町の旧療養所大府荘の跡地の幽霊話が報道され、幽霊騒動が勃発しました。今は、あいち健康の森の一部として、森に結核で亡くなった患者の慰霊之碑が建立されています。 |
江戸時代、このあたりは近崎村でした。近崎という地名は、かつてこの付近が衣ヶ浦に面した岬だった名残といいます。古くは衣浦湾が入り込んでいて、「近崎」という地名が付いたのです。近崎神明社の創建は1638年頃です。 |
本殿 | 神楽殿 | |
日露戦争記念碑がありました。 |
昔、桶狭間の戦いで戦死した人の塚を百姓が誤って削り取ってしまいました。以来、石亀土あたりは、田畑の収穫は悪く住民の不幸が続いたため、昭和29年に柴垣法隆を中心に御堂を建て「観世音菩薩」を祀り供養したのが大府観音です。 |
大府観音です。 | ||
石亀山法隆寺です。 |
惣作遺跡は弥生~平安時代の塩生産の遺跡です。かつて海の入り江が間近にせまった場所です。遺跡の範囲は東西約25メートル、南北約40メートルと推定されています。弥生土器・中世陶器などが出土していますが、最も多いものは製塩土器(身の部分が薄く、底に角のように先がとがった足1本付いている土器)です。この製塩土器の存在から塩が生産されていたことがわかります。 |
惣作遺跡 | 製塩土器の脚です。 |
平成26年に桃山町の宅地造成工事に伴う事前の発掘調査が実施され、3基の窯が検出されました。比較的残存のよい状態であり、遺物はコンテナにして200箱出土しました。12世紀末から13世紀初頭に操業されたものと考えられています。 |
今は住宅地になっています。 | |
左は発掘調査の資料の写真です。出土物は大府市歴史民族資料館に展示されています。 |