大府巡り2020-4

五ヶ村川の樋門

 境川は川底が土砂によって堆積し、天井川となり、水はけが悪く、田が水没することもありました。大府市の近崎村、北尾村、横根村、豊明市の大脇村、東阿野村が話し合って、1677年から境川沿いに人工的に排水路を造り始めました。5つの村が参加したことから五ヶ村川 と呼ばれるようになりました。
 五ヶ村川を作って排水しようとしましたがしきれず、そこで高所の水を皆瀬川、明神川、砂川、石ヶ瀬川に集め、五ヶ村川の上を越えて、境川に放水しました。五ヶ村川はこれらの川の下の樋門(トンネル)を通して下流に流しました。
 樋門は当初は木製でしたが、1897年頃から服部長七の考案した人造石工法により改修され、大府市にはその樋門が3ヶ所残っています。

<明神樋門>

明神樋門は、江戸時代、周辺の田の排水路として掘削された五ヶ村川と西側丘陵地から境川に注ぐ明神川とを立体交差させるために設けられた樋門です。服部長七が発明した「たたき工法」を使用して改修された近代化遺産のひとつで、2連のアーチが特徴的です。
五ヶ村川が2連アーチの明神樋門を通って明神川の下を流れています。
明神川(右)の下を五ヶ村川が流れていて、立体交差しています。  
    
 
 
 
明神樋門です。案内板に明治34年頃のものと描かれていました。 
 
 
明神川から境川に明神川逆水樋門を通して流れ込んでいます。 
 
 
明神川から境川に排水する明神川逆水樋門です。  

<五箇村川(砂川)樋門>
農業用水の排水河川として開削されたのが五ヶ村川と地元を流れる砂川とが交差したところに造られた樋門が五箇村川(砂川)樋門です。
 
 
五ヶ村川の上を砂川が流れていて、立体交差しています。2連の石造りアーチ橋になっています。  
 
 
現在は多数の水門が設置されています。  五ヶ村川第2排水機場 

<水無瀬樋門>
水無瀬樋門は皆瀬川と、五ヶ村川を立体交差させています。この地域一帯は江戸時代からの開拓が始まりましたが、治水対策が行われていないため、雨の降った後に、潮が河川を逆流して水田内に入り込み、塩害を引き起こしてしまいました。また、水捌けが悪いために、水位が下がらず水田地帯は海に帰ってしまいました。そのために堤防を組み、上流からの河川を堤防の上部に通し、水田の広がる低地域は樋門を設け、潮の引いたときにゲートを開け、排水処理を行いました。満潮時は潮が逆流するため、ゲートを閉じていました。その時に使用されたのが水無瀬樋門です。
 
 
水無瀬樋門です。五ヶ村川は皆瀬川の下をくぐってきます。
 
 
五ヶ村川第3排水機場です。五ヶ村川は右の豊明から流れてきて左の皆瀬川の下をくぐります。 五ヶ村川です。 
 
 
皆瀬川(右)が境川(左)に合流する場所です。   皆瀬川の下を五ヶ村川が通ります。

石ヶ瀬橋梁
JR武豊線の貨物線の石ヶ瀬橋梁には明治24年に開通した古い煉瓦製アーチ型の水路があります。
 
 
 
 

(2020.6撮影)


明神川上流レンガの水路
れんが造りの水路が、境川にそそぐ明神川の上流、ため池の宝池のすぐ近くにありました。石灰モルタルの目地に赤いれんがが敷き詰められていて、明治時代中期に造られたともされます。底面までれんが造りのU字形は珍しいものです。
 
(2021.7.23撮影)

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