大府巡り2020-2

高山古墳神社

高山古墳は、古墳時代後期の古墳とされています。古墳は横穴式石室で高さ3m以上、直径20m以上の中型円墳でした。現在は古墳の墳頂に高山神社が鎮座しています。出土遺物は、海獣葡萄鏡と鉄鏃(てつぞく)、土器が1点ずつ出土しており、いずれも大府市歴史民俗資料館に保管されています。
    
 
高山神社の両横に、大正年間に偶然発見された巨石に「古墳之阯」「三樹魂」と刻んだ石碑が二基建っています。 
    
 
拝殿正面は高山神社、左側には庚申堂があります。  青面金剛を祀った庚申堂です。
    
 
標高13メートルの小高い丘でした。 秋葉神社  
   
新たに松の木が植えられました。  役小角大神 
    
 
高山古墳は6世紀頃の中型円墳と言われています。  御神木です。 

南島八幡社
創建は不明ですが、応神天皇を祀り、1671年には現在の地にあったとされています。もとは高台でかなり遠方まで眺められたようです。樹木が生い茂り、当時の社地は約3,000㎡ありましたが、武豊線や東海道線の敷設で縮小され、現在は約615㎡になりました。  
 
 
 
 
東海道線と武豊線に挟まれた場所に南島八幡社はあります。

おしも井戸
814年に弘法大師が諸国巡視のため、尾張の国に来た時、宿を頼んだが皆断られ、大府のこの地へ来て「おしも」と云う老婆の家で一泊した。この付近が入り江近くであるため飲み水や顔を洗う清水に恵まれないことを知り、自分の杖で祈念を込めて地面を突くと、清水が湧き出した。以来この清水の湧き出る場所をおしも井戸と呼んだという民話が残っています。
 
 
 
 

大清水地蔵尊
かつてこの付近は多くの清水が湧き出たことから大清水と呼ばれたといいます。大清水の延命地蔵尊は1767年に建立されました。応仁・文明の乱(1467~1477)に都落ちしてきた七津大夫(ななつたゆう)が、 この大清水に七津屋敷という御殿をつくり移り住みました。大夫は素晴らしき人物で、人々が村の名を「大夫」とする程でした。 この「大夫」が後に「大府」となりました。かつては清水が湧き出た井戸跡が地蔵尊の前にあります。 
 
 
 
 
大清水地蔵の横に、1775年に日本六十余州を遍歴し、社寺の参拝を無事終えた記念の廻国記念碑があります。 
 
 
大清水井戸跡です。清水が湧き出ていました 
(2020.5.21、22撮影)
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