桃山公園

桃山公園は、大府市の中心市街にほど近いガンジ山の頂上付近に位置し、桜の名所として知られます。公園だけでなくガンジ山一帯には樹齢50年を越すソメイヨシノが咲き乱れます。 

桃山公園の桜

「ガンジ山」は小高い丘の古くからの呼び名でした。元々は御料林で明治末に払い下げになった土地です。地主になったのが日本陶器(現在のノリタケ)の初代社長の大倉和親の父の孫兵衛です。土地を継いだ和親は敷地の多くを桃畑にして大倉農園を造りました。大正から昭和にかけ一帯は3万本の桃の木が植えられ、果樹園が広がっていきました。「大府の桃」として知れ渡りガンジ山は桃山に変わりました。桃の栽培が衰退したのを機に住宅地に転換され、住宅地内の道路に桜の木が植えられ、桜の名所になりました。
 
 
例年さくらまつりが開かれます。   
 
 
 
 
風車の展望台からはピンクの桜でおおわれた桃山公園と周辺が見渡せました。 

(2008.3.30撮影)

風車モニュメント

風車モニュメントは、高さ約17メートル、直径4.5メートルの羽根が20枚あるモダンデザインの風車です。桃畑が広がっていたころ、小高い丘の頂上に風車があり、果樹園に水をやるために井戸水を汲んでいました。この風車が大府のシンボルとも言われていました。風車は戦時中に解体され軍に供出されましたが、それから半世紀近くたって市民から、「桃山のシンボルを現代に」と復活の声があがり、1990年に大府市が風車モニメンを建設しました
 
 

(2009.4.5撮影)

桃山の竜神さま

昔、水害に悩まされた住民を代表して二人の村人が山に登ったところ、池の水が漏れて天にのぼれないという竜神の声を聞いたので、村人たちで山の池を直した。すると、竜神が天にのぼることができ、洪水がなくなったという大府に伝わる民話から竜神さまが祀られています。
    
 
    
 
池には花しょうぶがきれいに咲いていました。  竜神さまの祠です。 
三山巡拝記念の碑
1823年に大府村から13人の村人が 白山、立山、富士山へ登山をして51日間の旅を無事終えた後、村の中で一番高い丘(現在の大府市桃山公園)の頂に、三山巡拝記念碑を建立してました。
    
 
右の碑の上段には、「立山和光大権現、富士浅限大菩薩、白山妙理大権現」とあり、下段には13人の名前が刻まれています。左の四角柱には、1813年に三山巡拝した人たちの記念に「立山大権現、富士山浅間大菩薩、白山妙理大権現」の文字が刻まれています。 
池には花しょうぶが咲き乱れ、八つ橋から鑑賞できした。 

井戸跡と桃山タンク跡
大正から昭和初期にかけ、この桃山周辺一帯は三万本を超える桃の木が植えられ、春には一面赤いじゅうたんを敷き詰めたようでした。この果樹園を潤すため桃山地区の高台に、自然風を利用した揚水風車を設置し、かんがい用水を引いていました。その水源が、この井戸であり昭和15年頃まで利用されていました。 
    
桃山に公園を整備した当時の大府町長酒井鼎一翁胸像です。 
 
桃陵荘の前に井戸跡があります。  桃陵荘 
   
桃山タンク跡です。以前は大府市水道発祥の地である桃山タンクがここにありました。桃山タンクは、大倉和親氏に係る桃山住宅地分譲に伴い着工され、昭和16年から給水開始され、昭和54年に使命を終えました。タイルに昔の桃山タンクと桃山風車の絵が描かれています。 

(2020.5.22撮影)

藤棚

 
   
(2007.4.30撮影)

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