松平郷

<松平城山城跡>

松平城山城は松平信光の八男で能見松平氏の祖となった松平光親の居城として知られています。別名大田城と言い、太田道灌が築いたという伝承もあります。光親が能見城へ移ると廃城となりましたが、武田氏の侵攻時や、1584年の「小牧・長久手の戦い」の際に改修して利用されたともいわれています。
    
 
城は滝川北岸の城山山頂に築かれ、標高254mにあります。主郭東段の巨岩に標識があるだけで、その他の案内板は何もありませんでした。 
    
 
東西に長い主郭の両端から北へ伸びた尾根に向かって曲輪が形成され、U字型の縄張りとなっています。曲輪群には堀切,土塁,土橋や一部石垣が残っています。 
    
 
松平郷は巨岩が多く、この日もボルダリングの練習の人がたくさん訪れていました。 
 
ひときわ大きい巨岩がありました。登り口を見つけて岩の上に登ってみると
           ↓ ↓↓
巨岩の上に登ってみると、絶景が広がっていました。スリル満点でした! 
 
 
巨岩の上に二級基準点がありました。 
<松平郷展望テラス>
松平郷展望テラスは、松平東照宮手前の山道を登って約1km先の標高310mにあります。
展望テラスからは、眼下に豊田市内遠くは名古屋駅周辺の高層ビル、東山タワー名港トリトンなど、さらに伊勢湾や対岸の鈴鹿山脈、養老山脈も眺望できます。 
   
 
この日は展望がよく、右の方に伊吹山が見えました。  
    
 
 眼下に豊田市の町、遠くに名古屋駅周辺の高層ビル、背後に養老山脈が見えました。
藤原岳などの鈴鹿山脈が見えました。 
    
 
138タワーと能郷白山などの山々が見えました。   
<松平城址>
松平城は家康公の先祖にあたる松平親氏によって築かれた城で、室町時代の典型的な山城であったと推測されています。日頃は松平郷の居館にすみ、いざ戦いとなるとこの城にたてこもったと言われています。松平親氏が松平信光とともに岩津城へ移ってからは松平信広の居城になりました。 
    
 
松平城には、本丸と二の丸があったと言われ、山腹には山を包む様に約400mの空堀の跡が残っています。 
    
 
主郭の高台には城址碑が立てられています。松平城はお城山と呼ばれている標高298mの山頂に位置します。
    
 
豊田市名木指定のヤマモモです。樹齢500年以上、樹高12mです。  
    
 
登城口の右手は4曲輪になっており、先端には櫓台、南側に進むと主郭から2・3曲輪の下を囲む形で横曲輪が築かれています。

(2022.2.12撮影)
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