刈谷の鎌倉街道
鎌倉街道は鎌倉を中心に放射状に整備され、各地を結んでいました。刈谷市内では「東海道」よりも北を通っていたと推測され、豊田市の駒場の方から東境町と西境町を通り、境川を越えて豊明市の方へ続いていきます。現在は度重なる耕地整理などによって、その姿を見ることはできませんが、東境町にある祖母神社にはその面影が残っています。 |
祖母神社の境内には、鎌倉時代に京都から鎌倉へ通じていた鎌倉街道の跡と伝えられる道が残っています。 | ||
鎌倉街道の当時の面影がうかがえます。 |
祖母神社は、1147年に東境村の加藤四郎左衛門が家に帰る途中、白髪の老婆が「祖母嶽明神である」と述べて四郎左衛門に軸を渡し、四郎左衛門が軸を開くと不動明王の尊像が描かれており、その地を御社と、軸を御神体として、祖母大神としてあがめたとする伝承があります。 |
村社碑と鳥居です。 | 鎌倉街道伝承地碑です。 |
祖母神社境内には鎌倉街道の跡が残っています。 | 境内は末社が並んでいます。 |
本殿です。 | ||
拝殿です。 | 祖母神社の鎮守の森です。 |
観音寺は、曹洞宗の寺で、十一面観音菩薩を本尊としています。本堂前の「大悲閣」と書かれた木額は池大雅によるものです。 |
永福寺は、曹洞宗の寺で、1502年の創建といわれています。寺の東側の溝から出土した道祖神と池大雅が書いたという木額(秋葉殿)があります。 |
祭神は豊宇賀能売神、誉田別命です。神社の北側を通徳川家重臣の「酒井氏」発祥の地とも言い伝えがあります。 |
永福寺の北約3百メートルの境川堤防中腹に鎌倉街道西境碑があります。鎌倉街道は境川を渡って尾張の国の大久手(現豊明市)に通じていました。 |
境川を境にして、左が尾張の豊明市、右が三河の刈谷市です。 |
長善寺は1519年に撮智立公上人により、現在の東郷町にある祐福寺の塔頭として建立されました。その後、寛永年間(1624~1645)に西境村の念佛信仰者の懇願により、酒井神社の南に移転しました。しかし、移転地は境川の川沿いであり、たびたび川の氾濫に遭い、堂宇も湿気によって朽ちてきたことから1745年に現在の地へ移築されました。 |
岩ヶ池は伊勢湾岸自動車道のハイウエイオアシス刈谷パーキングから見渡せる池です。池の周囲は遊歩道があり、公園化されています。 |
ハイウエイオアシスの観覧車が見えました。 | 弁才天が見えました。 |