岩崎城

  岩崎城は、室町時代末の平山城です。織田信長の父である信秀により築城され、その後徳川家康の祖父方に奪われます。その後丹羽氏清が移り住みました。1584年の豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、丹羽氏は徳川方に属し、犬山方面から岡崎を目指した羽柴方の行軍を阻止しようとして落城しますが、戦功をたて徳川氏に認められていきました。


  
 
天守からの展望です。 
 
1987年に本丸跡に五重構造の模擬天守が建てられ、「岩崎城址公園」として整備されました。
   
 
御岳山(日進市)が見えました。    
    
 
敵の侵入に備えて複雑な階段になっていました。 
   
 
岩崎城歴史記念館  
園内の「岩埼城歴史記念館」では岩崎城の歴史、日進市の歴史や文化遺産、出土品などが展示されています。  
   
 空堀
 
岩崎城址公園案内図  土橋跡 
本丸は、周囲を土塁・空堀・帯曲輪で囲まれたいて、土を盛り上げて作った櫓台(標高・約66メートル)がありました。また二の丸など、いくつかの曲輪が本丸の周囲を固めていました。土橋は本丸と二の丸を連絡する唯一の橋です。
    
櫓台 
 
土塁  水琴窟  
水琴窟は、上部の小さな穴から水を落とすと水滴の音がかめの内部に反響し、音を出す仕掛けになっています。
 
二の丸庭園 
 
岩崎城古墳  井戸跡 
岩崎城古墳は、岩崎城跡発掘調査の際に、偶然土塁の下から発見されました。出土品である須恵器の特徴などから6世紀前半に造られたと推定される円墳です。 
   
山の神  表忠義碑  古城之碑 
 岩崎城の戦いで戦死した丹羽軍将兵を慰めるため、「表忠義」の題を持つ記念碑が本丸の櫓台に建てられました。

<慈眼寺>
1610年創建の曹洞宗のお寺で、通称「岩崎観音」です。本尊は千手千眼観世音菩薩で、岩崎城主・丹羽氏清が守本尊として京都の清水寺より勧請し、城内にお堂を建てて祀ったものと言われています。
    
 

<妙仙寺>
妙仙寺は、1537年岩崎城主・丹羽氏清が本郷から岩崎へ城を移した際、折戸町にあった長松寺を菩提寺として一緒に移したのが始まりです。
    
 
1793に再建された山門は三間一戸の楼門(二階造りの門)で、天井には格間に赤穂四拾七士が描かれています。
 
 
臥龍の松  天井の赤穂四拾七士 
臥龍の松は、樹齢は約400年を超えると推定されています。巨木でありながら美しい姿に感銘しました。臥龍の松という名称は、幹や枝の張り具合が、まるで龍が臥して体をかがめているように見えることから名付けられたようです。 

<宝林寺>
   

<平成展望台>
平成展望台は「平成ふれあいの森」の中にあり、給水塔に併設された珍しい展望台です。展望台は高さがあるため、日進市を中心に遠くは名古屋市内まで夜景を観賞できます。
 
 

<岩崎御嶽社>
岩崎御嶽社は、1860年明心行者・明寛行者の二人が、夢のお告げにより木曾の御嶽大神を岩崎に勧請したのが始まりです。春・秋の大祭などには地元の信者を始め、名古屋などからも多くの参詣者が訪れます。
    
 
拝殿   
   
 
開祖殿  
    
 
 御嶽山には御岳信仰の各講社や教会によって、たくさんの霊神碑や像などが建てられています。

<お助け穴不動>
お助け不動は、岩崎御嶽社拝殿横の洞窟の中にあります。 
    
 
穴の奥に不動明王が祀られています。
   
この穴の中で昔、修行していたようです。  

<菊水の滝>
菊水の滝は御岳信仰の信者がこの滝に打たれ身を清めてから、御嶽山に登ったといわれている滝です。 
 

(2022.1.10撮影)
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