有松

有松は、1608年に尾張藩の奨励によって東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿の間につくられました。耕地も少なく、茶屋集落としての営みにも限界があったため、副業として絞染を工夫しました。この有松絞は、東海道の旅人に土産物としてもてはやされ、有松は繁栄を誇りました。1784年の大火で村の大半が焼失してしまいました。その際、火災に備えて漆喰による塗籠造とし、萱葺き屋根を屋根瓦としました。今も当時の面影を残した豪壮な町家が立ち並んでいます。
うだつのある瓦屋根、塗籠造り(ぬりごめづくり)の壁など、歴史と伝統を感じさせる旧家が並ぶ町並みです。 

服部家住宅

 服部家住宅は、1790年創業の絞問屋で、屋号を井桁屋といいます。屋敷地は、有松東海道に面し広い間口を有し、中央部に2階建の主屋を配し、井戸屋形、土蔵、門など併せて11棟が県指定文化財となっています。有松の有力な絞問屋の屋敷構の典型として価値のある遺構となっています。
    
 
敷地の間口は約45mと有松で最大です。  うだつを上げています。 

服部良也家住宅

服部良也家は、服部家(井桁屋)から明治時代に東隣に分家した家柄です。この主屋の西側に建つ土蔵は、分家に際して服部家(井桁屋)から服部家(井桁一)に譲られたもので、県指定の文化財となっています。 
 
 
 虫篭窓の格子に金属製の丸棒が使われています。
    
 
塗籠造、なまこ壁をもつ土蔵の重厚な外観が目を引きます。 

竹田家住宅(竹田嘉兵衛商店)

400年の歴史を誇る有松・鳴海絞りは、その開祖と言われる竹田庄九郎により、この地で始まりました。竹田嘉兵衛商店は、竹田家の分家として江戸時代の末期に建てられ、以降、明治から大正にかけて増改築を重ねながら往時の面影を今に伝えています。建築学的にも貴重な建物として、平成7年に名古屋市の有形文化財に指定されました。
    
 
竹田家は、300年以上続く家系で、旧東海道を代表する建築物のひとつです。   明治期のガス灯です。
   
 
主屋1棟、蔵3棟、茶室1棟、26畳の書院造りの座敷からなる建物です。有力な絞商の屋敷構えの典型例をみることができます。現在は、「竹田嘉兵衛商店」として有松絞りの製造および卸をしています。  

岡家住宅

岡家住宅は、江戸末期の建造で1棟の建物としては有松最大規模を誇ります。2階のひさし下の建材を漆喰で塗り固めた塗籠造(ぬりごめづくり)が波状になっていて、これは名古屋城にみられる意匠と同じです。 
    
 

小塚家住宅

寛文年間(1661〜1673年)に有松に移住した小塚家は、山形屋の屋号で明治期まで絞り問屋を営んでいました。主屋はうだつをあげています。
    
 


中濱家住宅

当初は絞商の山田与吉郎家の建物でしたが、2004年からは、中濱家の建物として使われています。土蔵の軒先の瓦に「山ヨ」の印が入っており、当時の名残が感じられます。 
 
 
     
馬つなぎ環がありました。   

棚橋家住宅
棚橋家住宅は、有松を代表する絞り問屋服部家住宅の遺構であり、分家した服部孫兵衛家が「井桁屋」の屋号としたので、本家は「大井桁屋」と呼ばれています。1933年から棚橋医院として約50年間使われました。医院は有松駅北へ移転しましたが、建物は旧状を維持しています。 
 
 
  邪気から家を守る鍾馗様です。 
山車
有松には、『布袋車(ほていしゃ)』『唐子車(からこしゃ)』『神功皇后車(じんぐうこうごうしゃ)』の3輌の山車があります。 
 
 


中舛竹田家

中舛竹田家は江戸末期の建物とみられ歴史ある建物でしたが、老朽化が進んだため、古民家再生プロジェクトとしてデイケアサービスセンターに改築されました。
 
 

東海道五十三次二代目松

有松の西の入口に東海道五十三次二代目松があります。村に最初から生えていたといわれる樹齢300年の松の古木がありましたが、初代の松が枯れて現在二代目が植えられています。
 

有松絞会館
1984年に旧知多郡有松町役場跡地に開館しました。絞りの歴史資料や技術が実物を使い、わかりやすく展示されています。 
   
  有松絞り開祖竹田庄九郎碑、鈴木金蔵碑

有松天満社

 有松天満社は有松の氏神として菅原道真公を祀る神社です。神廟は、有松東海道にある衹園寺境内にありました。寛政の初期(1789年~)に今の地に奉還せられ、1824年に現在の八つ棟造りの壮麗な社殿が建立されたといわれています。
    
 
一の鳥居から五の鳥居まであります。  虹橋です。 
    
 
石段の参道が続きます。  狛犬 
     
鶯象です。  御神木  神門です。 
    
 
拝殿です。  臥牛像です。 
道真公を祀る天満社には臥牛が置かれています。臥牛の部位を祈願しながら手で撫でれば、身体は健全に病気は快癒すると云われ、また筆で頭部を「頭が良くなりますように」と撫でれば、知恵が付き賢くなるいわれています。 
     
有松天満社への参道です。  参道の途中に踏切があります。  神棚がありました。 

歌碑がいくつかありました。  東海道の石碑がありました。 

    
 
服部家の3階立ての蔵がありました。 
   
藍染めした絞りの藍を流し落とし、川が藍色に染まっていたことから「藍染川」と呼ばれていました。現在では、上下水道の設備が整い染工場の染め排水を川に流さなくなり、昔のような藍色の水が流れる情景は無くなりました。
(2020.5.28撮影)
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