安祥城址

 安祥城は、永享年間(1429~1440年)に築かれた和田氏の居館がその始まりで、森城とも安城城とも呼ばれていたといわれています。1471年頃、徳川家康の祖先である松平信光が安祥城を謀略によって奪取し、4代にわたって、安祥城は松平氏の居城となりました。徳川家康の祖父にあたる松平清康まではこの城を本拠としていました。織田信秀が安祥城を攻め落とし、その後今川氏との間で攻防がおこなわれ、落城させられました。しかし今川義元が桶狭間の戦いで敗れ、独立した松平氏と織田氏の間で清洲同盟が締結されると、岡崎城の前線としての価値が薄れ、廃城となりました。現在、本丸跡に大乗寺が、二の丸跡に八幡社が建てられています。 
安祥城址公園にある、大乗寺の境内が本丸跡です。 
    
 
安祥城の本丸の曲輪部分に西向きに建っている大乗寺の楼門です。  大乗寺本堂 
    
 
  楼門二階に鐘がありました。 
    
 
八幡社が二の丸跡です。 秋葉社 
   
安祥城址公園内に2つの盛山が在り、大乗寺が本丸、八幡社が二の丸、そして安城市歴史博物館、安祥公民館の場所が三の丸の跡になります。


安祥文化のさと

「安祥文化のさと」とは、安城市にある松平氏4代50年の居城跡を整備した安祥城址公園一帯の名称です。 安城市歴史博物館、安城市民ギャラリー、安城市埋蔵文化財センター、 安祥公民館、安祥城址公園 と併せて、美術と歴史を気軽に楽しめる文化ゾーンです。 
<安城市埋蔵文化財センター>
    
安城市民ギャラリー 
 
   
発掘出土品を整理している様子を見ることができ、 発掘された遺跡が展示されていました。 

<安城市歴史博物館>
    
 
人面文壺形土器   
   
矢作川流域における人々のくらしの歴史が楽しく学べる展示が工夫されています。  
   
   
    本證寺本堂鬼瓦 

二子古墳
二子古墳は、全長68.2mの前方後方墳です。矢作川流域で2番目の規模をもち、この地方最大集落の権力者が埋葬されたといわれる古墳です。低い前方部と比較して後方部を高く盛りあげ、墳丘を大きく見せています。原形をよく保っていて、4世紀初頭の築造とされる説が有力です。
    
 
(2021.1.26撮影)
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