ムンバイ Mumbai

  ムンバイはインド西部にあるインド最大の都市です。街には高層ビルが立ち並び、経済や文化の中心地として発展を遂げています。ムンバイは世界第9位の人口を誇る国際都市です。ムンバイはかつてボンベイと呼ばれ、イギリスの植民地として発展してきた歴史を持っています。そのため、イギリス植民地時代の壮麗豪華な建築物が今も遺る魅力的な街です。現在では首都のデリーを上回る大都会で、金融・ビジネスの拠点として、日本の企業も多く進出しています。 
ムンバイはかつては7つの島からなる漁村でしたが、16世紀のポルトガルの進出以来、商業都市として成長しました。1661年にポルトガルからイギリスに譲渡されると、東インド会社の管轄下で島の埋立て工事と鉄道の整備が行われました。以降はデカン高原などからの綿花の輸出港として栄え、世界の綿業を支える一大生産地として発展していきました。1947年にイギリスから独立し、1995年には英語読みだったボンベイをムンバイに戻しました。現在は1800万人を超える人口を抱え、高層ビルが立ち並ぶ大都市となっています。 
ムンバイはインドの経済・金融の中心地として発展を続ける一方で、格差もすさまじく、高層ビル群の中に点在するスラム街は、インドの強烈な格差社会を象徴しています。新旧入り混じった独特の雰囲気が味わえるのもムンバイの魅力です。スラム街に生きる人々の力強さや優しさも、垣間見ることのできる都市です。

<インド門>

インド門は、ムンバイの港に面して立つ、高さ26mのグジャラート様式の門です。アラビア海を臨む海岸地区に位置し、元々は漁村の桟橋でしたが、イギリス統治時代に改装され、イギリス人総督や著名人の上陸地として使われました。現在はエレファンタ島行きのフェリーや湾内観光船の発着所となっていて、いつも多くの観光客で賑わっています。
インド門は、1911年にインドを訪れたイギリスのジョージ5世とメアリー女王が上陸したのを記念して建てられました。当時、イギリスはインドを植民地として支配していました。インド門は、イギリスの支配を象徴する建造物として、インド人からは反発の対象にもなりました。しかし、インドが独立を果たした後も、インド門はインドの象徴的な存在として残りました。今日では、インドを訪れる観光客の定番スポットとして、その壮麗な姿を見ようと多くの人が訪れます。 


<タージマハルホテル>

インド門の向かいには五つ星ホテルのタージマハルホテルがあります。ムンバイの資本家であるジャムセットジ・タタが白人専用のホテルで入場を断られたことに怒って、インド人の手で作られたホテルと言われています。1903年に開業し、以来ムンバイ第一のホテルとなりインドを訪問する世界の政治家・王侯貴族・有名人らがこのホテルの客となりました。


<チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅>
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス(旧ヴィクトリア駅)は、イタリアの中世末期の様式を模した、格式の高いヴィクトリア・ゴシック様式を用いて造られています。そのヴィクトリア朝ゴシック様式と、伝統的なインドの建築様式を融合した建物は、ゴシック都市ムンバイの象徴とされ、この地が商業で繁栄したかつての栄光を語るものとして、2004年に世界文化遺産として登録されました。 
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅 
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅は、当初はイギリスのヴィクトリア女王の即位50年を記念して、「ヴィクトリア・ターミナス駅」と名付けられています。現在の名前に変わったのは、インド改称運動時の1998年です。ムガール帝国に抵抗し英雄とされた、マラータ王国の創始者「チャトラパティ・シヴァージー」の名前からつけられました。1日に発着する列車は1000本超え200万人以上の乗客が利用しています。アジアで一番忙しい駅とも世界で最も美しい駅とも言われています。

<ヴィクトリアン・ゴシックとアール・デコの遺跡群>

2018年に世界遺産(文化遺産)に登録された「ムンバイのヴィクトリア朝とアール・デコの遺産群」は、インドがイギリスの植民地だった時代の19世紀と20世紀の建物が登録されています。 
 
ムンバイ大学 
ムンバイは、インドでも第2の都市であり、世界でも有数の貿易港です。17世紀からイギリスの拠点であり、19世紀後半になるとインドでも最も重要な港湾都市へと発展しました。そういう背景もあり、市街地を拡張する都市計画が行われ、19世紀後半にオーバル・メイダンと呼ばれる楕円形の広場の東側には、ヴィクトリア朝のネオゴシック様式の建造物が並ぶようになり、これらは裁判所やムンバイ大学などで見られます。特にラジャバイ時計塔は、ムンバイのシンボル的存在です。  
 
ムンバイ高等裁判所   
 
西部鉄道本社 市庁舎 


<ドービー・ガート>

インド最大の都市、ムンバイにはドービーガートと呼ばれる世界最大級の洗濯場があります。インドではまだまだ手洗いで洗濯する文化が残っています。ドービーガートはムンバイ中の洗濯物が集まるとまで言われるほどの大きな洗濯場で、入口以外は高い塀で覆われていて観光地にもなっています。 洗濯場として、100年以上の歴史があり、200家族・7000人以上も働いています。
マハーラクシュミー駅南の陸橋の上からドービーガート全体を見ることができました。ドービーガートの巨大な屋外洗濯場と奥の近代的なビル群の対比が驚きでした。インドの近代化とそれに伴う歴史のアンバランスを一度に写真に収めることができました。高層ビル群と、無数の洗濯物というコントラストは、ここならではの不思議な光景です。バックにそびえ立つ近代的なビル群との対比は何度見ても衝撃的でした。
 
各自の洗濯槽で洗います。 袋に入れて運びます
 ドービーガートでは、伝統的な方法で衣類を洗濯しています。人々は、手でこすり洗いを行い、壁に布を打ち付けるなどして汚れを取り除きます。その後、洗った衣類は日光に当てて乾燥します。ねじったロープに挟み込むように干すので洗濯ばさみいらずです。賢いワザです。ムンバイ中の洗濯物が集まる場所とも言われているので、もしかしたらムンバイで宿泊しているホテルのシーツやタオルなどもここで洗濯されているかもしれないと思うとゾッとしました。これを見てからは、顔は自分で持ってきたタオルかティッシュでふくようにし、枕にも持参のタオルを敷くようにしました。
 
インドのカースト制度では、全ての人々は4つのヴァルナ(①バラモン・②クシャトリヤ・③ヴァイシャ・④シュードラ)とヴァルナに属すことができないダリット(不可触民)に分けられます。ダリット(不可触民)と呼ばれる人々は社会的に低い地位に置かれ、トイレや火葬場などの汚れ仕事や不潔な仕事を担当することを求められてきました。ドービーガートで暮らす人々は、そのような不可触民と呼ばれる人々です。 


(2024.10.19~22撮影)
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