ルクソール東岸

ルクソールは、古代エジプト王朝の新王国時代にテーベと呼ばれ、首都として栄えました。ナイル川中流域に位置し、川を挟んで東岸と西岸に分かれています。太陽神が崇拝されていた古代エジプトでは、太陽は生と死、そして再生復活の象徴と考えられ、太陽が昇る東岸は「生者の町」、太陽が沈む西岸は「死者の町」とされ、東岸には神々を祀る神殿、西岸には墳墓が造られました。

<カルナック神殿>

カルナック神殿は、今から4000年ほど前に、テーベ(現ルクソール)の地方神であるアメン神の神殿として造られ、歴代の王が増築を重ね、今日にみられる巨大な神殿となったたものです。
 
 
頭が羊、胴体はライオンのスフィンクスの参道を通って神殿に入ります。    
   
エントランスの模型で説明を受けました   
   
     
  第一塔門は高さ43m、幅113m、厚さは15m。 
   
内側にはレンガで足場を積み重ねて巨大な塔門を作ったということです。  
     
列柱室は、開花パピルス柱(柱の上が開花状になっている石柱)が中央に12本、
未開花パピルス柱(柱の上がつぼみ状になっている石柱)が122本もある。  
     
ラメセス2世の巨像  いたるところにレリーフが  色が残っていました。 
   
ハトシェプスト女王のオベリスクとトトメス1世のオベリスク    
     
スカラベの周りを七回廻ると幸せになるそうです。  身を清めたという聖なる池 
     
 倒れたオベリスク   

<ルクソール宮殿>
 ルクソール神殿はカルナック神殿同様にアメン神を祀るもので、祭礼を行うために造られたものです。聖なる船にアメン神像を載せ、10日間に渡ってお祭りをしたのだそうです。そのため、神殿には祭りの様子を描いたレリーフが数多く残っています。
 
 
ラメセス2世によって造られた第一塔門とオベリスク  
もともとオベリスクは両側に1本ずつ2本建っていましたが、1本はモハメド・アリがフランスのナポレオン3世にカイロ市内のモスクにある時計台と交換しました。現在、パリのコンコルド広場に立っています。
   
オベリスク  大列柱廊   
   
神殿の上にモスクが建っています  三つの礼拝堂  ラムセス2世の大きな座像 
   
ローマ風のフレスコ画  捧げ物をしているレリーフ  ツタンカーメン王夫妻の坐像 
   
  かつてはカルナック神殿まで3キロにわたりスフィンクスが並んでいました。
(2017.2.6撮影)