エルサレム2  (シオンの丘)

シオンの丘は、 旧市街の南西、シオン門の外にある一角です。第二神殿時代に祭司や貴族が多く住んでいたところです。シオンの丘はシオニズムの語源となった地名でもあります。
    
 
旧市街の一番南のシオン門です。第一次中東戦争で激戦となり、銃弾の跡が残っています。   
     
竪琴を持つダビデ王の像   マリア永眠教会が見えます。 
    
 
二階に最後の晩餐の部屋、地下にダビデ王の墓があります。   マリア永眠教会 

<最後の晩餐の部屋>

イエスがユダヤ教の指導者たちによって捕えられる前夜、弟子たちとともに食事をし、ユダの裏切りを予言したところです。現在の建物は十字軍が建てたもので、ゴシック様式になっています。レオナルド・ダ・ヴィンチの名作とは似ても似つかない部屋でした。 
   
ダビデ王の墓の2階が、イエスと十二使徒の最後の晩餐の部屋です。  
    
 
最後の晩餐の部屋
<ダビデ王の墓>
ダビデ王の墓は、最後の晩餐の部屋のある建物の地下にあります。ダビデ王は、古代イスラエル2代目の王(BC1011~BC971頃在位)です。ダビデ王はソロモン王の父で、最初はユダヤの王、後にイスラエルの王となり、エルサレムを中心とした統一国家を作った伝承の王です。
    
 
石棺を半分に切るように,男女室間は壁で仕切られていて、男女別々の部屋で,別々にお祈りします。  
   
男性用の部屋は広く、書架もあります。ユダヤ教徒が熱心にお祈りをしています。  
   
女性用の部屋は狭く、男女の差は激しいです。  
   
9本立てのメノラー   メズーザー 
 メズーザーは『門柱』の意味で,中には聖書の1節が記された羊皮紙の巻物が入っています。部屋に入る度に手を当てて,祈るそうです。

<マリア永眠教会>
マリア記念教会は、聖母マリアが最晩年を過ごした場所を記念して建てられたネオロマネスク様式の教会です。聖母マリアを祭って1910年に建てられました。
   
  聖母子のモザイク画   
    
 
教会の地下には、桜の木と象牙で作られた永眠するマリアの像が横たわっています。 
   
   
   
<鶏鳴教会>
 ペテロはイエスの仲間であることがばれるのが恐ろしくなり、三度もイエスを知らないとウソを言いました。この時、ちょうど鶏が鳴いたのです。そんなペトロを 記念して建てられた教会が鶏鳴教会です。
   
現在の教会は、十字軍時代の建物の廃墟の跡に1931年に完成したカトリックのものです。 
    
 
  金属扉に,イエスがペテロに告げる場面のレリーフが刻まれています。
   
石段は、2千年前のものであり、イエスが歩いたまさにその道であると考えられています。 
   
イエスが連行されるレリーフ 家政婦に情報提供される場面のペテロたちのブロンズ像 
   
教会の地下の牢獄跡。イエスはここに留置されて最後の一夜を過ごし、そして総督ピラトのもとに連れていかれました。 

<シオンの丘から見たオリーブ山>
   
万国民の教会やマグダラのマリア教会が見えます。   
(2016.5.16撮影)