エルサレム1 (神殿の丘)
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と3つ数の宗教の聖地として崇められる地として古くから知られています。神殿の丘には、イスラム教のモスク「岩のドーム」があり、そのすぐ側にユダヤ教徒が祈りをささげる「嘆きの壁」が立っていたり、近くのトンネルを抜ければキリスト教徒たちが十字架を背負ってイエスと同じ道をたどる姿が見られる「ビアドロローサ(悲しみの道)」につながるなど、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教、それぞれの宗教が共存しています。
神殿の丘は、紀元前10世紀頃、ソロモン王により第1神殿が建てられましたが、紀元前587年、バビロニアにより破壊されました。紀元前515年に建設され、ヘロデ王によって改築された第2神殿は、紀元70年にローマ帝国により再び破壊されました。城壁の一部が残され嘆きの壁と呼ばれています。現在、神殿の丘はイスラエル領ですが、アル=アクサー・モスクや岩のドームなどイスラム教の聖地でもあり、管理はイスラム教指導者が行っています。 |
<嘆きの壁>
嘆きの壁は、ヘロデ王が建てたユダヤの神殿の西側の外壁の一部で、現在のユダヤ人にとって最も神聖な場所となっています。1948年のイスラエル独立戦争で嘆きの壁はヨルダン領となり19年間にわたりユダヤ人がこの壁に近づくことが禁じられました。1967年にイスラエル軍の手でこの壁が再びユダヤ人のものとなりました。以来この壁にはどの宗教の信徒も自由に訪れることができます。現在壁の高さは約18m、長さ60m、地中にはまだ19層の石段が約21m隠れています。 |
嘆きの壁は男女別れていて、右側が女性用、左側が男性用の祈り場です。 |
現在見える壁の高さは17mですが、下部7層がヘロデ時代のもので、その上の4層はローマ時代またはビザンチン時代、さらに上の小さい石で積み上げられた部分はアラブ時代おそらくマルムーク時代のものと言われています。 |
嘆きの壁の男性用は広くなっています。 | ||
願いを書いた紙が 壁の石の隙間に挟み込まれています。 | ||
男性の祈りの場所の左側にはウィルソン・アーチがあって、その下がシナゴーグになっています。 |
女性用入り口 | 女性用の場所はとても狭く、柵越しに男性用の場所を見ています。 |