スプリット
クロアチア第二の都市であるスプリトは、ローマ皇帝の宮殿跡がそのまま旧市街になったというとても珍しい町です。歴史的建造物も多く、1979年にはユネスコの世界遺産にも登録されました。クロアチアでもドゥブロヴニクに並ぶ人気観光地として、注目を浴びています。
【鐘楼展望台から見た風景】
鐘楼の上は展望台になっていて、スプリトの市街地と港が一望できます。古代、中世、現代が交差するスプリトの街並みと、青い海が広がる風景はとても美しく感動的です。 |
ディオクレティアヌスが築いた宮殿をベースに、時代ごとに増築されていった建物が混在する、不思議な空間が広がっています。 |
スプリトの背後にそびえる山脈はディナル・アルプス山脈です。 この山脈はスロベニアからクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、アルバニアにかけて延びる大規模なカルスト地形の山系で、アドリア海沿岸に沿って南北に走っています。 |
【ディオクレティアヌス宮殿】
ディオクレティアヌス宮殿は、3世紀末から4世紀初頭にかけてスプリトに建てられた古代ローマのディオクレティアヌス帝の居城です。ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害した人物としても知られていて、305年に退位したあと、余生を過ごすために宮殿を建てました。 |
当時宮殿の姿の説明を受けました。 | 金の門 |
ディオクレティアヌス宮殿の内部は4つの区画に分けられていて、南半分が皇帝のエリア、中央に中庭とそれに面した霊廟と神殿、さらに南は皇帝の住居として使われていました。 |
ペリスティルは、ディオクレティアヌス宮殿の中心で、東西南北4つの門から伸びる道が交差するポイントです。この南側(海側)にかつてはディオクレティアヌスの住居部分があり、東側に霊廟(となる予定だった)大聖堂、西側に洗礼堂があります。現在では広場でコンサートやイベントが開かれ、年中賑わうスポットでもあります。 |
宮殿の中庭「ペリスティル」 |
4世紀初頭、ディオクレティアヌスが晩年を過ごすために入江に建てた宮殿がディオクレティアヌス宮殿で、敷地は巨大で南北215m、東西180m、合計38,700㎡ありました。スプリト南のブラチ島から運んだ白い石を使って造られました。5世紀にローマ帝国が滅亡すると宮殿は廃墟となり、その後7世紀になって人々がそこに住み始めました。スプリトの人々は宮殿を大胆にも改装し、自分たちの町につくり替えました。現在、城の内部はスプリト旧市街として残され、観光スポットとなっています。 |
【聖ドムニウス大聖堂】
聖ドムニウス大聖堂は、4世紀前半にディオクレティアヌス帝の霊廟として建てらました。ここには当初、皇帝の石棺が安置されていましたが、7世紀にスプリトの人々の手によって破壊され、キリスト教の大聖堂へと姿を変え、結局、皇帝の遺体は行方不明のままになっています。 |
聖ドムニウス大聖堂 |
大聖堂は元々はディオクレティアヌス本人の霊廟として建造されたもので、ブラチ島などから運ばれた上質な石灰岩と大理石で造られています。7世紀頃にカトリック教会として利用されるようになったと言われていて、1100年に鐘楼が追加されただけでほぼオリジナルの姿を1300年以上に渡って保っていて、改増築・改修などをしていない教会としては世界最古のもののひとつです。 |
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鐘楼からの展望 |
鐘楼の高さは約60メートルあり、大きな鐘が吊り下がった下を壁伝いに階段を上がっていくと、360度の絶景を見ることができます。 |
鐘楼 |
【ヴェスティブル(前庭)】
ペリスティルから南へ進むと、真ん中に穴の開いたドームのある空間に出ます。これはヴェスティブル(前庭)で、ディオクレティアヌスの住居部分への玄関の役割を果たしていた場所です。 |
ヴェスティブル(前庭) |
建造当時のオリジナルを非常によく残している部分のひとつで、真ん中の穴が開いた部分はかつては美しいモザイクがはめ込まれていたと言われています。ここで、クラパと呼ばれるダルマチア地方伝統の男声アカペラのコンサートなども開かれます。 |
【地下宮殿】
スプリトのディオクレティアヌス宮殿には「地下宮殿」と呼ばれる広大なスペースがあり、かつてはワインやオリーブオイル作りが行われたり、倉庫として利用されたりしていました。 |
宮殿の地下室 |
地下宮殿はペリスティルから南方向へ地下に伸びる空間で、かつてはその上部にあったディオクレティアヌスの居住区画を支えていた部分です。上部区画は既に原型をとどめていませんが、地下室に残っている区割りは建造当時そのままで、上部構造がどうなっていたかを知る資料として貴重なものです |
建造当時から空間自体は食料庫やワイン蔵として利用されていて、中世にはスラム街やゴミ捨て場となり廃墟同然だったものを19世紀に発掘し再整備しています。 |
皇帝の住居である地上階と地下室の間取りを同じ設計にすることで地下室が地上階を支える設計になっています。 |
【洗礼室、門】
洗礼室は、元々はディオクレティアヌス帝がローマ神話の最高神であるジュピターを祀る神殿として建てたものですが、後にキリスト教が広まると神殿は洗礼室として利用されるようになりました。 |
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洗礼室 | 銀の門 | 青銅の門 |
宮殿は城壁によって囲まれています。東西南北にある4つの門、「銀の門」「金の門」「青銅の門」「鉄の門」があり、そこから入れるようになっています。 |
【グルグールの像】
グルグールの像は、宮殿の北側にある「金の門」の正面に立つ巨大な銅像です。これは10世紀に実在したグルグール・ニンスキ司教を称える像で、彼はそれまでラテン語のみで行われていたミサにクロアチア語を導入し、スラブ言語の保護に貢献したとされています。 |
グルグールの像 |
スプリトの英雄であるグルグール司教の左足の親指に触れると幸運が訪れると言われていることから、大勢の観光客が並んでいました。 |
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プロムナード |
青空市場から海側に抜けるとプロムナードに抜ける。宮殿内とは打って変わってリゾートの雰囲気です。アドリア海が美しく、椰子の並木が並びます。プロムナード沿いにはカフェや土産物店がたくさんあります。 |
(2025.6.5撮影)
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