ポレッチ(クロアチア)

  ポレッチは、クロアチアのイストリア半島に位置する小さな港町です。人口約 17,000 人のポレッチの町は、ロヴィニ や港湾都市プーラと並んで、イストリア半島で最も重要な海岸沿いの町の 1 つです。細長い半島に位置し、古代都市の城壁に囲まれた旧市街は、「アドリア海の真の宝石」とも呼ばれています。  

【エウフラシウス聖堂の鐘楼から見たポレッチの街】

エウフラシウス聖堂の隣にある16世紀に建築された鐘楼の上に登りました。頂上に上ると世界遺産のエウフラシウス聖堂だけではなく、美しい海とポレッチの街並みを眼下に見ることができます。ポレッチの歴史地区は古代ローマの貴重な遺跡が残る、世界遺産に認定されてもおかしくない中世の雰囲気を持った町です。
ポレッチの町は、イタリアにも近くキリスト教が早くから広まった歴史ある街です。アドリア海に面した中世の雰囲気を残すこの町は、リゾート地としても人気で、一年を通して大勢の観光客が訪れます。
イストラ半島西岸に位置するポレッチは、紀元前2世紀にローマ人によって軍事拠点が築かれ、紀元1世紀になるとパレンティウムと呼ばれる都市になりました。3世紀になるとキリスト教の共同体が多くなると、4世紀に現在の歴史地区には「パレンティウムの聖マウルス」に捧げられた礼拝堂が建造されました。そして、6世紀中期に当時の司教であったエウフラシウスが、礼拝堂があった場所に聖堂を建造し、10世紀まで長い期間をかけて完成しました。   
 
イストラ半島の政治の中心地として栄えてきたポレッチは、ローマ時代の後、ビザンツ帝国、ヴェネチア共和国、オーストリア・ハンガリー帝国などの列強諸国に支配されます。歴史地区(旧市街)には各時代の影響を受けた遺構が残っていて、ポレッチが歩んできた波乱の歴史を垣間見ることができます。  


【エウフラシウス聖堂】

エウフラシウス聖堂は、ポレッチの象徴的な建築物です。元々はローマ時代の広い邸宅跡に建てられたため、古い邸宅は現在も教会内の庭園に残っています。4世紀には教会の基礎が築かれ、その後6世紀にエウフラシウス司教により改築され現在の姿になりました。早くからキリスト教が広まったポレッチに建てられたエウフラシウス聖堂の教会群は、初期キリスト教の面影を残す貴重な世界遺産です。 
 
エウフラシアン大聖堂入口  鐘楼 
メインとなる聖堂の他にも、6世紀に建造された八角形の洗礼室、16世紀の鐘楼、柱廊のある中庭、5世紀の聖堂跡、司教の邸宅、礼拝堂から構成されます。
教会の前にあるアトリウムと呼ばれる回廊や教会、洗礼堂すべてが残っている例は数が少なく、聖堂内に残るビザンティン美術の傑作と言われる黄金のモザイクがなどが評価され、1997年に世界遺産として認定されました。 
 
 
聖堂内部  洗礼堂 
エウフラシウス聖堂内には黄金の美しいモザイク画や聖母マリアの壁画など、訪れる人が息を飲むような光景が広がっています。 
 
海岸線に建つため、潮の満ち干きの影響を受けないよう改修の度に1メートルずつ土台が上げられていきました。中庭の2メートル下にはローマ時代にそこにあった邸宅の床を飾っていたモザイクが現存しています。キリスト教の象徴である魚のモザイクなど、1ミリ四方の正方形に切ったガラスや石を組み合わせた精巧なモザイク画で、これらは聖堂の床下でも見ることができます。 


【旧市街】

2,000年の歴史を持つ海岸沿いの町ポレッチには、歴史ある旧市街があります。ショップ、カフェ、その他の観光スポットが立ち並ぶこの地区は、イストリア半島の歴史を探索するのに最適な場所です。旧市街の当時の建築物は手入れが行き届いており、歴史的建造物が点在しています。 
ポレッチは、ローマ時代に都市計画に基いて造られた町です。古代名は「パレンティウム」で、この町の中心部に城塞が建てられ、ローマの植民都市として発展しました。古代ローマ人も歩いていた石畳の道は昔から変わらない町のストリートです。
ポレッチ市役所


【ビーチ】

アドリア海に面したポレッチは夏場になるとヨーロッパ各地から多くの観光客が詰め寄せる人気のリゾート地です。海岸線には多くの美しいビーチが点在しているので、リゾート気分ももちろんしっかりと堪能できる街です。 


(2025.6.2撮影)
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