アゼルバイジャン

  コーカサス三国の一つアゼルバイジャンは、他の2カ国がキリスト教国であるのに対し唯一イスラム教の国です。ソ連崩壊後独立した新しい国ですが、紀元前からの歴史を持つ古い国でもあり、バクー油田を始めとする豊富な天然資源が経済を支え、近代化が進んでいます。

バクー

  首都バクーは、カスピ海のバクー湾に面した港町で、「内城」と呼ばれる城壁に囲まれた旧市街と、帝政ロシア時代にその周囲に築かれた新市街とに分かれます。旧市街に中世の宮殿が残る一方、新市街には近未来的なビルが続々と建設され活気に溢れています。

<殉教者の小道>

殉教者の小道は、ソ連末期の1990年1月20日に起こったソ連の侵攻や、アルメニアとの戦争で命を落とした一般人366人の墓地と慰霊碑があります。故人の写真がある墓標が並んでいます。 
 
 
中央奥に慰霊の塔が見えます。   
 
 
1990年1月20日のソ連のバクー侵攻で亡くなった人たちの顔と名前が黒い銘板に刻まれて並んでいます。 
     
慰霊の塔には永遠の炎が灯されています。 テレビ塔が見えました。
 
 
公園は市内で最も高い所にあるので、公園内の展望台からはバクー市街やカスピ海を一望できます。
 
展望台からバクー市街とカスピ海がよく見渡せ、市民の憩いの場所になっています。   
     
アゼルバイジャンのオイルマネーの象徴である3つのフレームタワーズがよく見えました。  

<シルバン・シャフ・ハーン宮殿>
シルバン・シャフ・ハーン宮殿は、14世紀〜15世紀」にかけてバクーを治めていたスンナ派イスラム王朝であるシルバン朝のシルバンシャフハーン一族により建造されました。宮殿を始め、モスクや霊廟、ハマム(浴場)などが一体となって形作られています。 
    
 
   
銃弾の跡がありました。  隠し部屋です。  下に監獄がありました。 
   
絨毯が敷かれた広間  展示されていたサーベルと短剣  装飾品 
   
  王様専用のモスクです。   
   
浴場跡です。  旧市街の模型 
   
モスクのミナレットです。  

<乙女の塔>
 乙女の塔は、紀元前5世紀にゾロアスター教寺院として建てられたもので、12世紀に要塞の一部として建て直されました。高さ30mの見張りの塔は、バクー旧市街のシンボルになっています。「乙女の塔」の名前は、かつてこの地を治めていたモンゴル人の王が王女に結婚を強要し、それを望まない王女がこの塔からカスピ海に身を投げたという伝説に由来します。 
 
 
   
128段の階段で塔の屋上まで登りました。   
  
塔の屋上からはバクーの街の360°の景色を一望できました。 
   
屋上からフレームタワーズが見えました。  塔へ登る途中の窓からカスピ海が見えました。 

<旧市街>

バクーの旧市街は城壁で囲まれています。12世紀にシルバン・シャー朝の首都となった後、度重なるイランの攻撃やロシアの侵攻を受けた歴史を持つことから、旧市街地を取り巻く城壁は、強固な造りになっていました。 
旧市街は土色の城壁に囲まれ、中世の面影が残っています。 
     
城壁の櫓跡の投石機  12~14世紀に建造されたシェマハ門 
   
小さな本の博物館です。世界各地のミニチュア本が展示されていました。 
   
 
旧市街の建物です。多くの建物にテラスがありました。   
   
 
旧市街の道はとても狭いです。中世の雰囲気を漂わせています。  詩人アリアガ・ヴァイドの胸像 
   
子供が上の猫を見上げている像がありました。 
   
15世紀頃のマーケットの跡 発掘されていました。

<バクーの新市街と郊外>
カスピ海で採掘される石油が経済を支えていて、急速に近代化の道を進んでいます。コーカサスのドバイと呼ばれるほど、モダンで前衛的な建物が次々と建てられています。 
   
ヘイダル・アリエフセンター  カーペットミュージーアム 
   
 フレームタワーズ ショッピングセンター   国会議事堂  
   
油田の油井があちらこちらにありました。町の近くに油井がたくさんあって驚きました。  
   
バクーはカスピ海に面しています。 巨大なアゼルバイジャンの国旗  殉教者の小道入口のモスク 
     
社会主義時代のアパート   バクーの中心街 市庁舎 
(2019.6.15撮影)
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