アルメニア3

アララト

アララトは「ノアの方舟」伝説が残るアララト山を望む地方です。この地方には興味深い建造物や、遺跡が数多く残されています。 

<アララト山>

アララト山は古くからアルメニア人の多く居住してきた地域(大アルメニア)の中心にあたり、アルメニア民族のシンボルとされてきました。オスマン帝国がこの地域を支配した時代までは、アララト山の麓にはクルド人やトルコ人と入り混じりながらも数百万人のアルメニア人が暮らしていましたが、オスマン帝国末期、とくに第一次世界大戦中の強制移住によりトルコ領内からはほとんどアルメニア人はいなくなってしまいました。現在、アララト山は、トルコ領になっていますが、アルメニア民族のシンボルであるということには変わりありません。
アララト山は、旧約聖書に登場する「ノアの箱舟」の大洪水の後、箱船が流れ着いた山として12世紀以降にヨーロッパ人により命名されました。 
左が小アララト山(標高3896m)、右が大アララト山(標高5165m)です。 
 
 
大アララト山 小アララト山 


<ホルヴィラップ修道院>

ホルヴィラップ修道院は、美しいアララト山を望む修道院です。その歴史は4世紀にまで遡り、キリスト教の布教に勤めていた聖グレゴリウスが、13年もの間捕われていた場所として知られています。結局、時のアルメニア王ティリダテス3世がこれに屈し、301年にキリスト教がアルメニアの国教として定められました。また、カルタゴの将軍がここで晩年を過ごしたという伝説も残されています。 
アララト山を背景にしたホルヴィラップ修道院の絶景写真です。
ブドウ畑を手前に、後ろには大アララト山、小アララト山、そしてホルヴィラップ修道院のベストショットです。
    
 
ホルヴィラップ修道院は歴史的には砦あるいは監視所としての機能も持っていた時期がありました。
     
   
 修道院の中 聖グリゴールが閉じ込められていた地下室に行く階段
     
  ホルヴィラップ修道院からアララト山がよく見えました。 
(2019.6.20撮影)
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