ポーランド5
【アウシュヴィッツ】
アウシュヴィッツは、ポーランド南部の工業都市オシフィエンチムのドイツ名です。交通上の要地でもあり、。第2次大戦中の占領下(1939‐45)にドイツ軍は各地に強制収容所を建設し、ユダヤ系一般市民など約140万人が虐殺されました。 |
<アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所>
アウシュビッツ強制収容所は、ドイツ軍が設置した最大規模の強制収容所でした。アウシュビッツは、火葬場、絶滅収容所、および強制労働収容所がある強制収容所の集合体でした。アウシュビッツ強制収容所は、アウシュビッツ第1強制収容所、アウシュビッツ第2強制収容所(ビルケナウ)、およびアウシュビッツ第3強制収容所(モノヴィッツ)の3つの大規模な強制収容所で構成されていました。ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策 (ホロコースト) および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所です。 |
アウシュヴィッツ強制収容所
アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の跡地は、二度と繰り返してはならない人類の「負の遺産」として1979年に世界遺産に登録され、博物館として公開されています。 |
見張り台 | アウシュヴィッツ強制収容所の入口 | |
正門の上に「働けば自由になる」という嘘の標語がありました。 | ||
鉄線がはりめぐらされ、当時は約220Vの電流が流れていました。 | ||
130万人以上がヨーロッパ中から連れてこられました。 | 右がアウシュヴィッツ、左がビルケナウ | |
連れてこられたユダヤ人 | 没収した持ち物、衣類がおびただしい数でした。 |
毒ガスチクロンBを用いたガス室 | 死体を焼却する焼却炉 | |
銃殺刑の場 | 絞首台 | チクロンBの空き缶 |
収容者増を補うため、1941年10月、ブジェジンカ村に「第二強制収容所ビルケナウ」が開所されました。総面積は1.75平方キロメートル(東京ドーム約37個分)で、300以上の施設からなります。 |
「死の門」と呼ばれる強制収容所の入口 | |
鉄道引き込み線で強制収容所の中まで直接運ばれてきました。 |
貨車で大勢の人が連れられてきました。すぐに ガス室に行くかどうかの選別が行われました。 | ||
収容者を乗せてきた家畜用の貨車 | ||
見張り台 | 案内してくれたガイドさん | |
高圧電流の通っていた有刺鉄線が張り巡らされていました。 | ||
広大な敷地に300以上の棟がありました。 | 詰め込みで寝ていました。 |